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残酷さへの気づき 2  

      
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by yogabeaware | 2011-02-12 21:39 | ヴィヴェーカーナンダ

ミキさんの告白

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みわこさん、こんばんは。

あけましておめでとう。

今日は節分。旧暦の1月1日だね。
あしたは立春。
あたらしい年のはじまり。

良い一年になりますように。



独り言だけど・・・

小さい頃から、なんのために人は生きてるんだろうって思ってたんだよね。

とくに、中学生、高校生の頃はくるしくて。
再婚したばかりの親に気を遣っていて、自分を表現できなくて、
いっそぐれられたら、寝てる間に死んでしまえたら、
どんなにいいかと思いながら、それもできず、
じぶんは生きていて。
なんのために生きてるんだろう?と思うばかりで。
(ややこしいティーンエイジャーだよね・・・)

ある日、いつものように、空を見上げながらぼんやりと

目はなにをみるためにあるの?
口はなにをしゃべるためにあるの?
鼻はなに?
耳はなに?

神さま、人間に備わった機能はなんのためにあるの?
なんのために生きなくちゃいけないの?
っておもいながら。

そしたら、
目は美しいものをみるために。
口は美しい言葉を出すために。味わうために。
鼻は良い香りを嗅ぐために。
すべてのなかの美しさをみるために。

と、ただ感じて。
そんなの無理だよってそのとき思ったけど、
いま、yogaに触れるようになって、
あのときのことをふと思い出して、
あれは神さまからの真実の言葉だったのかも
しれないなーって思うようになりました。

あのとき、くるしくてのどが詰まってしゃべれなくなっていた
ミキちゃんのくるしみが、いまでは決して無駄ではなかったんだって、
思えることがすごく救い!

そういう過去のすべてが、
みわこさんにも、いまいる周りの人たちにも
出会わせてくれている。
無駄なことなどなにひとつなかった!
すべてが腑に落ちた、節分でした。

みわこさん、いままでがんばって生きていてくれてありがとうね!
生まれてきてくれてありがとうね。



ミキ


小林孝亘 sleeping bag

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by yogabeaware | 2011-02-05 22:54 | しょうじき

ゆうこさんとのメール

みわこさま

こんばんは。寒くなりましたが、陽射しが12月に比べて明るくなった気がします。

みわこさんのブログは正直でとても好感が持てます。
今、私が感じるヨーガ界はやはり、身体・・・フィジカルが中心です。
それはそれでいいけれど、体が柔らかくなっても精神的に自由かというとそうではない。

だから、「気付く」「意識化する」ことを、もっと主張(変な言い方ですが)してもいいと思うのです。
わたしも、自分が始めたクラスのご案内にはそれを強調しました。

そもそも、今頃になってヨーガを教えようと思ったのは・・・。
昨年の秋、M先生のヨーガ教室の合宿に参加したのですが。
M先生に「スワミ・ヴィシュワルーパナンダの教えをわかり易く、レクチャーしてみない?」と言われたのです。
そして、先生と何回かメールでやり取りしてレクチャーのレジュメが出来上がりました。
当日は30分の枠と聞いてたのに2時間近くあって、ほとんどが初対面の方たちの前で講義をしました。
ヴェーダンータと、仏教の「気付き」がミックスしたヴィシュワルーパナンダの教えを、
私なりに消化したレクチャーです。

ヴィシュワルーパナンダを日本に招きたいと思ったのは、「気付き」のヨーガを知って欲しかったからです。
スワミジを日本に招へい(インド人は自由に外国には行けないのです)するのは・・・
やはり思った以上に様々なことが起きました。かなりへこみました。
でも、こんな講義が出来たのも、スワミジとの出会いがあったからか。
そして、少しは水面に投石が出来たのかな?

昨秋、シバナンダ・アシュラムに一人滞在できたのも、M先生のおかげです。
その時、既に知り合いのアドヴァイタナンダ・ジというスワミジに、5日間ダルシャンをしていただきました。
ダルシャンとは、1対1で質疑応答をするものです。
そのあるとき、スワミジは「ヨーガを教えることは、貴女の魂の浄化になり、
教えられた人には沢山のメリットがあるから、是非続けなさい。双方に良いことですよ。」
と言われたのです。
その言葉は頭で理解したのではなく、意識の深いところにその飛び込んできたのです。
また、このスワミジから沈黙の重要さを学びました。

ヨーガは5000年以上続いている。
それを教えるというより、わたしは自分をとおして伝達したり見せてみたりするだけです。
そのヨーガの素晴らしさを、伝えていきましょう。
添付はよかったら見てみて下さい。わたしの教室の案内です。

                                        ゆう子


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     

ゆうこさん

拝見しました。

機が熟したのですね。

ヨーガのさまざまなスワミジや先生が、「教える」ということを勧めますね。
ヨーガの伝達はよほど魂を浄化してくれるのでしょう・・・

いろいろなことが起こりますが、起こることを起こらせるというのも
ヨーガの気づきの訓練の一つかと思って、
今は毎日を送っています。

ようこさんにも色々な出逢いがあったのですね。
ダルシャンで学ばれた「沈黙」とは何だったのですか?

気づきのヨーガを教えている方との情報交換は、
本当に刺激になります。
私もますます頑張ろうと思います。
どうぞよろしくおねがいします。                     (みわこ)



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


みわこさん

みわこさんの返信の「起こることを起こらせる・・・」に、とても励まされました。
その通りだと思います。大切なことを忘れていた気持ちです。

ダルシャンで、アドヴァイタナンダ・ジがおっしゃた「沈黙」は、ごく当たり前のことだったのでしょうけれど。
とかくしゃべりがちな私には、「なるほど」・・・またもや深いところに投げ込まれた言葉=教えです。
スワミジは、実は「サティヤ=真実を語りなさい」と言うことをしきりに言っておられました。
そこで、私は「真実を語りその結果、トラブルもしくは相手を傷つけることになったらどうすればいいのですか?」
と聞いたのです。その答えが「沈黙」でした。
こんな簡単なことが、自分には出来ていないのです。
帰国して、「真実を語ること」と「沈黙する」ことを考えるようになったのです。
とかく、考えてるようで実は無意識に行ってる行為・・・。
意識化してみると、何かが変化する。
帰国して、抱一先生の瞑想が「アンタル・モウナ」(内なる沈黙)だったのは何か、共時的です。

シバナンダ・アシュラムでも、モウナ=沈黙・・・ほとんどしゃべることがなくて、素晴らしい時間をすごしました。
欧米から来ていた女性は皆一人での滞在で、とても物静かな方ばかりでした。
仲良くなった、レバノンの女性リーマに「貴女はヨーガを教えてるの?」と尋ねると、
「私はいつも生徒です」と言ったのです。リーマの問いに「時々ヨーガの先生」と答えた自分が恥ずかしくなりました。
教えていても、いつも生徒ですものね。

明日のヨーガスートラ、Yさんが参加されるのですね。
出会いの不思議です。
                                 ゆう子


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


ゆうこさん、
このたびの返信のメールに、全く同感です。

モウナ(沈黙)はスピリチュアルな意識を高めることに大変有効だと、
自分もモウナを心がけてみて、感じました。

マザーテレサは「言葉が多すぎます」と言って亡くなったと
先ほど知ったのですが、この世の中、この世で触れ合う人、
ほんとうに言葉が多すぎると思う。

アドヴァイタナンダ・ジがおっしゃるとおり、
真実の言葉だけを語って生きていきたい。
そして、みんながそう出来たらどんなに美しい世界になるだろうと思います。

「起こることを起こらせる」というのも、モウナのひとつなのではないかと感じます。
スワミ・ヴィヴェーカナンダの『カルマ・ヨーガ』を読んでいたらこんな一節がありました。

「カルマ・ヨギは最高の理想は無抵抗である、ということを理解している人です。
そしてまた、この無抵抗は実際に持っている力の最高の表現である、ということを、
そしてまた、悪への抵抗というのは、この最高の力の表現、すなわち無抵抗に向かう道の、
一段階にすぎないのだ、ということを知っている人です。」(35 P)

アーサナは「起こることを起こらせている」動き・・・
あんな感じですべての時間を生きていけたら、と思います。       (みわこ)


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


みわこさん

みわこさんの「起こること・・・」を読んで、間もなく・・・、
私の始めたクラスの開始でした。
その言葉がよみがえり、スワミ・ヴィシュワルーパナンダがいつも「ポーズはあなたがしているのではない、
起こっている」と言っていたことを思い出しました。そう、アーサナは自分がやっているのではなく、「起きている」。
参加してくださった生徒さんにそれを伝えていこう、と思いました。
そういうやり方は何か不思議らしい・・・。
反響がありました

明日は大寒。寒さを楽しむ気持ちがあると、嬉しい毎日・・・。

                                        ゆう子


スワミ・ヴィヴェーカナンダは現代の教育についてこう述べている。
「背後になんの実質もない、永遠の無意味な長談義を信じよということにすぎない」
「彼らはことばをたべて生きよ、ともとめられているのです。」(『ラージャ・ヨーガ』18P)


                           
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by yogabeaware | 2011-01-22 23:00 | 日々。。

正直なひと

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正直なひとと会うと、

会話が清水のように流れる。

老廃物が出てゆくよう。

美しく透き通った上澄の気分。

正直なひとと会ったあとは、

すっきりした視界。

英気が増す。
小林孝亘 Bort ( river )    

もし、あなたが誰かと会ったあとすっきりした気分でないのなら、
あなたは(自分が知っても知らなくても)うそをついている。 
   
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by yogabeaware | 2011-01-19 23:27 | しょうじき

正直 IS SIMPLE

正直 IS SIMPLE

正直にストーリーはない

ストーリーがある

などという

あいまいなものではない

そうか、

そうでないか、だ

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by yogabeaware | 2010-12-17 22:18 | しょうじき

2度目の檄!

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あの、mario先生のサイショの強烈な一撃から3カ月・・・私は先生のスタヂオで一度ヨガレッスンをしてみないかと言われました。

わたしは運を天に任せ、はいと答えました。

3か月の間にいろいろありました。

トラウマへの気づき、身体の変化、心の変化・・・。

だからわたしもそろそろ「自分のレッスン」ができるかなとたかをくくっていたんです。

だけど・・・

レッスンの途中からわかっていました、
誰もがおとなしく聞き、誰もが私の指示に従ってくれるのですが、
何も起こらない
何も流れない
のです。

みんなが帰ったあと先生は私に課題を与えました。


  「Satya 正直に生きること」

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正直に生きていくってどういうことだろう?

自分に正直になるとは?

先生に言われてからいつも「正直に」「正直に」と念じているんだけれども、それって自分のしたい放題でいいってことなの???
・・・その意味さえ初めはわかりなかった。

自分のしたいこと、欲しいものの追求、
自分の触角を張り巡らし鋭敏に、
それでもわからなくって、自分に失望して、ひとを傷つけて、正直とは何かを模索する日々・・・

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事実をありのままに見る
NO JUDGEMENT
何の偏見もない透明な視線で・・・


この夏、インドから来たスワミ・ヴィスワルーパナンダ・ジのヨーガクラスを受けた。

AWERENESS ~ ありのままを観察し、ありのままを気づくことのパワーを今頃、
スワミジが去った今頃感じている。

今頃、それが「正直」の基盤ではないかと感じている。

Mario先生は言っていた、
「今まで正直に生きなさいと、いろんな人に言ってきたけど、本当にそれができたひとはごく少数だ。そのうちの一人がのりこ(先生の奥さん)。それぐらい難しいことだ」
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by yogabeaware | 2010-10-31 23:30 | ご挨拶 ☆ 最初の気づき