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迎合しない生き方

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講演会の最後で、会場からのたくさんのアンケート用紙に書かれた質問に答える佐藤初女さんは、

映画や本の「演出」というフィルターがまったくかかっていない、

素のままの初女さんだった。

なににも迎合していなかった。

観客の喝さいにも、

爆笑にも、

拍手にも、

アンケートの内容にも・・・

彼女は彼女のいま・ここを生きていた。

彼女を「クールだ」と感想を持った人がいた。

そのとおり。

冷静。

あまりにも冷静で、固執しなくて、淡々としているので、

がっかりした人がいたんじゃないかな、

彼女なら震災の答えを出してくれるかもと。



・・・初女さんは迎合しません。むだに話しませんでした。
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by yogabeaware | 2011-06-08 23:45 | じぶんをみつける

しぜんにおこるアーサナ

私のヨガ・レッスンの、ひとつのクライマックスが、寝ていておこなう脚の上げ下げ(UTTHANPADASANA )です。

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月曜のヨガクラスで、みきちゃんから「今日は脚の上げ下げからアトがすごかったね」

って言われたので、

「あ~、私の中では大事なアサナだからかな、あのアーサナが私に大きな気づきを与えてくれたからね」

って、答えてました。

そう、あのアサナの体験は、私に大きな意識変革をもたらしてくれた・・・

「私は私の力で生きてるんじゃない。
偉大なる何か ~ GREAT SOMETHING ~とでもいうべき、何かに動かされている。生かされている。」
という・・・



        ☆         ☆         ☆         ☆         ☆      




仰向けになったまま、両脚の上げ下げを何度もするアサナ、UTTHANPADASANA は、
当初はただの腹筋みたい。

でもある日、

「あれ~?あれれ~??005.gif

何回でも上げたり下げたりしたくなってしまうほど016.gif
楽ちんになっちゃった!

まるで誰かが助けてくれてるみたいなエネルギー、感じた。

それは自然におこった。
そのしあわせ
そのありがたさ
その快活さは
まるで自然におこった。

カラダをうごかしながら
うごかしていない感覚は自然におこった。
↓↓↓
生きているのに
生きてないくらいラクに楽しく生きれたら・・・!
そんな「生」のキーポイントがヨガにはあるように思う。
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by yogabeaware | 2011-06-08 22:22 | しぜんにおこる

ニランジャン師の新年の挨拶より

「新年の祈り」                    スワミ・ニランジャーナナンダ・サラスワティ

毎年新年を迎えると、私たちは、お互いにその年の幸せや健康を祈ります。
しかし、その祈りを年頭の挨拶としてだけでなく、実現させるにはどうしたらいいのでしょうか。
1月2日になると、元旦の喜びは消え、新年の困難が始まります。
同じ日常、同じ問題、同じ欲望や叶えられない望みが始まるわけです。
つまり、私たちは、単に思考の上でのみ、祈っているわけです。

どうしたら、年頭の幸せの願いや祈りを、先へと続く現実へとつなげていけるのでしょうか。
実は私たちに幸せや喜びを与えてくれるものは、私たちの努力や野心から来るものではありません。
それは、神からの恩恵、大いなる存在から来るものです。
まずはそれを心得てから、探し、求めることです。

探し方、求め方は、シンプルです。
思考のひとつひとつ、行動のひとつひとつを大いなる存在へと捧げるのです。
「私」がしているのではなく、「私はただ大いなる存在の命(めい)にしたがっている」という態度や考え方です。
そして義務や責務、約束を果たしますが「私がすることの全ては、私自身を満たすためではなく、神の意思によるもの」なのです。

こうした考え方を元に、個人的な悩みに取組み、両手を広げて生きること、幸せに、また喜びを味わい生きることで、大いなる存在の恩恵を享受できるものとなります。そうした恩恵の下に、喜び、充実、平安があるのです。

毎年、皆、新年の抱負を語り、二日後には忘れてしまいます。
幸せな年になるようにという祈りは、それと同じように忘れられた祈りなのです。

一年間試してみましょう。
あなたの行動(=カルマ/KARMA)の全てを、あなたの思考(=ヴィチャラ/VICHAR)の全てを、あなたの願望(=イッチャ/ICCHA)の全てを、神に捧げます。
そして言いましょう「私のすることは、誓約をを果たすためであり、私自身の満足感や喜びのためではない」と。

そして、もし一年間こうした生き方をすることができたなら、あなたは、シャクティ(潜在的なエネルギー)の力がどのようなものなのか、神からの恩恵の力とはどんなエネルギーなのかを経験し、理解することとなるでしょう。

エゴ意識は、あなた自身の身体や感覚を制限し、自分本位なものとします。
そのエゴ意識を超越することが出来た時、あなたは恩恵に授かるものとなり、恩恵を受けるべく器を備えることとなります。

新年を迎え、私は、あなたの幸せを祈るのではなく、あなたが神の恩恵を享受するものとなる年となるよう、またそうなるようあなたが一年間励むことのできるよう祈ります。
Namo Narayan
                    

2011年1月1日 インド・ビハール州・リキアにて
Swami Niranjanananda saraswati
( Bihar School of Yoga )

ビハール・ヨガスクールのようすは ZENTRA YOGA の ヨガ日報の 
2011年2月13日 「ビハールへの旅」 / 15日 「ビハール州 サチャナンダ・アシュラムへ」
見てみてください、ふんいき、すこ~しわかるかと思います

(投稿した今日、4月15日はベンガル歴新年/新年度のはじまりの日だそうです!)049.gif

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by yogabeaware | 2011-04-15 11:57 | ヨガ的な生き方

愛はしぜんにおこる

(『ラーマクリシュナの福音』757P)
ここでシュリ・ラーマクリシュナは若いブラーミンに話しかけられた。

師 「知識と推理を捨てなさい。バクティを受け入れなさい。バクティだけがエッセンスなのだよ。
ここに来て三日目かね」

ブラーミン(手を合わせて)「そうでございます」

師 「信仰を持ちなさい。神に頼り切るのだ。そうすれば、何一つ自分でする必要はない。
母カーリが、お前に代わっていっさいのことをして下さるだろう。





        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      




私は時々日本ヴェーダンタ協会(インドのラーマクリシュナ・ミッション日本支部に行く。そうすると、
よく協会のインド料理を作ったりして奉仕している、ソフィアさんというインド女性に会う。

その日は私が先に来て瞑想室(シュライン)で座っていた。
しばらくしてソフィアさんが入ってきた。

彼女はなにかマントラを唱えながらひたいを床につけ、祈りをはじめた。
とたんに、ブワッという音とともに彼女が渦巻く濃密なエネルギーになった!
のを感じた。

私は彼女に驚嘆し、そして愛しく身近に感じられた。

・・・と同時に自分が恥ずかしかった。

私の神さまを思う愛・バクティのなんて薄っぺらなことか!!!





        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      




バクティだけがエッセンス 


神に頼り切るのだ。そうすれば、何一つ自分でする必要はない


それを、私はアーサナで体験する。


そう、それは身体を使ったヨガアーサナで体験できるのだ。


知識と推理を捨てなさい


知識や推理を超越する ということ、

それをヨガアーサナをしながらし続けていくと、
何一つ自分でする必要がないことを、
ほんとうは誰でもが体験することができるのだ。

アーサナをするとき

そこで私たちは

からだの筋肉をゆるめると共に、自分の思考や心の力もゆるめようとする

それは、けさ何を食べただとか、これから何をするとか、明日の予定は、子供の試験は・・・
などを忘れようという段階でも

自分は何という名前か、誰の妻か夫か、誰の母か父かを忘れようという段階でもない

自分が男だか女だか、どの場所に生きてるか、どの時代に生きてるかという感覚さえ無いほどのゆるみ

もはや自分が自分ではない

すべては神さまのもの

時間もちからも魂も

すべては私のものではない

私は私のものではない

すべては神さまのもの

私の全能力を使ってもどうにもならない

私にはどうにもすることができない

すべてはどうでもいい

神さま以外のすべてはどうでもいい



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      



ヨガアーサナを続けていくと、不思議なんだけれども、このような意識が復活し、育っていく。

それを続けていくと、

何一つ自分でする必要はない


という事実を発見していく。

私は今、ヨガアーサナというエクササイズをして身体を動かしているのに、

まったく自分で動いていない感覚

意識ははっきりしているのに、

まったく自分の意思で動いているのではないような

まるで動きに導かれているような

自然発生的な SPONTANIOUSな 動きの感覚

そんな感覚を味わうことが出来る

本当のヨガアーサナを訓練し続けていくと

普通の日常的感覚からいったら、まさに「驚異の!」感覚に出会うことが出来る

そのとき、

何一つ自分でする必要はなく、

大いなる存在が自分に代わっていっさいのことをしている真実を垣間見る

母カーリが、お前に代わっていっさいのことをして下さるだろう


と同時に

肉体は疲れを忘れ
エネルギーはひかり輝き
私は静寂な満足感と平和な気持ちに包まれる

これらは日常の生活では得たことがなかったという発見

いままでは「生きながら死んでいたんだ」

これが「本当に生きている」ということなんだという発見

そして

この道はほんとうなのだということが自明に、明らかになる

知識や推理ではない

自らの体験によって
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by yogabeaware | 2011-03-29 10:54 | ラーマクリシュナ

Hare Krsna

クリシュナの肌がなぜ黒いのか、または青黒いのか

私はクリシュナから直接ききたい

クルクシェートラの戦場でのクリシュナではなく、

いまそこにいるクリシュナに会いたい
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by yogabeaware | 2011-02-17 22:44 | あい

バランス、アンバランス

だんなさんに「バランスとれてるの?!」って言われた。

ヨガと家事のバランスのこと。

「とれてると思う!会社にんげん!どっちがアンバランスなんだか!」って言い返した。

少し前に、もう時間がないよって声を切実に感じていた。

だから確かにヨガに一生懸命ではあった。

だんだんイライラしていた。

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みんなでシェアするために録音したヨガの講義のデータファイルを何故だか・・・消失してしまった。

自分だけの話じゃないこと、みんなのデータを失くしたことに非常に気落ちした。

がくがくしてしまった。。

落ち着いて考えると、アンバランスで、イライラして、雑に処理してたから、

天の受取人様が受け取り拒否したのかもしれないと思った。ホントに。

そう、だんなさんの言うとおりだったのだ。

アンバランスで、ごうまんだったのだ。

謙虚さが欠如していた。

データはお陰さまで、復活ソフトと人間神様お二人の力で復活した・・・。

以前、先生の言葉の背後に大いなる存在をみようとブログを書いたけれど、

だんなさんの言葉にも、データの一件にも、常に大いなる存在をみるべきなんだ。

私はもっと注意深く、謙虚でないといけない。



あ~、それにしても消失してからこの2日というもの、落ちつけようとしても気持ちはがくがくしっぱなしであった。

ん~、プラティアハラ(感覚の制御)の道は遠い・・・
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by yogabeaware | 2011-02-09 22:48

ミキさんの道のり

わたしのヨガに参加しているミキさんの、しあわせまでの道のりです。

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☆人はなんのために生まれてくるのだろう・・・
物心ついた頃から疑問に思ってきました。


すぐ怒り出す父親は、母親に言葉やからだで暴力をふるうこともあり、
母親はくるしい日々を送っていたことを物心ついた頃から感じていました。
複雑な家庭環境と、そんな両親の間で、いつも緊張しからだを強ばらせていた子ども時代。
自分がいてもこのふたりはだめなんだ・・・強烈な無力感と、
自己肯定感を持つことができないまま大人になりました。
自分はだめ・・・すべてにおいて自信を持てず、
どうして自分の家庭環境はこうなんだろう、
どうして自分はこの両親のもとに生まれてきたんだろう、
それにはきっと意味があるはず、でも、その意味が自分にはわからない。
でも、どこかにきっと答えがあるはず。天に答えを求めるように過ごしていました。


大人になり、企業で働くようになったとき、デスクワークが性に合わなかったようで
自律神経失調症になりました。
そのときに受けたボディワークで、からだとこころの密接な関係を体感し、
からだとこころについて、もっと知りたいと思うようになりました。
その後、エステティシャンに転身。多くの女性のからだに触れてみて思ったのは、
こころのクセがそのままその人のからだに現れているということ。
だれひとり同じ人はいなくて、からだもこころもみんな違う。
からだがほぐれるとこころもほぐれる。表情もがらっと変わる。
普段、人に言えないような悩みをお客様からお聞きする機会も多く、
この地球に生まれてきて、それぞれの人生の課題に対峙していることの不思議さを思いました。
人が地球に生まれてくることの理由を知りたい、からだってなんだろう?魂の乗りもの?
まずは自分自身のことをより深く知りたいと思いました。


いつしか直感で、yogaには奥深くの自分を知ることのできるなにかがあるのではないかと思うようになりました。
それには先生はとても大事で、いつかきっとこの人!と思える人に出会えると確信を持ち、
数年が経ったとき、みわこさんに出会いました。すぐに「あ、この人だ」とわかりました。
みわこさんにyogaを教えてもらって3年目に入ったいま、ヨガは本当の自分を知るための
大きな気づきを与えてくれるものだと、確信しています。
みわこさんの伝えてくれるyogaをひとりでも多くの方とシェアできればうれしいです。


tetesミキ

小林孝亘 tent

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by yogabeaware | 2011-02-07 21:27 | ヨガクラスの内容

spontaneous シリーズ ③ ~ Spontaneous に生きるって?

automatic については spontaneous シリーズ ② ~ Automatic に生きるって? に書いた。

そのゆだねる先はエゴで、

わたしたちは無知で、

オートマティックにエゴに主導権をとられて生きている。

 
        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


「エゴのうた」

自分が心・エゴの道具になってはならない

自分を道具にすると、人も道具にしてしまう、自動的に…

人はそれに違和感覚え、ギクシャクが生じる



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    
  

spontaneous  スポーンテーニァス 
はそれとはまったく異質だ。

わたしのゆだねる先は
自分の心やエゴなんて小さいものじゃない。

それらのもっと親玉のような、

自分が生まれた理由を知っているほどの、

自分の奥の叡智とつながっているような

BIG I (ビッグ・アイ)、ほんとうの自分。



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    
  


それはオートマティカリーな自分をリラックスさせたときに感じ始める。

つまりエゴをゆるめたときに感じ始める。

私が空(くう)になったときに感じ始める。


気づけば、

いつも何を行為しているのか、

何を考えているのか、

いつも自分を詳細に、

クールに気づけば、

自然に自分が空なる感覚はやってくる。


こうしてエゴをゆるめる楽ちんさにゆだねていくと、

エゴをゆるめた先の 「BIG I」「大いなる存在」が在ることを発見する。

それが人生の主人公なんだって発見する。

開眼する。



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 

    
  

spontaneous とはまるで自分がいないかのように生きること。

どうか恐がらずに、

自分を「空(くう)」にしたら、

この瞬間瞬間を、

どのように動くのか、動かすのか、生きるのか

自然に知ることができる

大いなる存在が自然に動かしてくれる

それを YOGA と言い、

spontaneous と言うよ。

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by yogabeaware | 2010-12-13 11:20 | Spontaneous に気づく ①~④