ハ・タ・ヨガとは ⑦ ~ 「自立」について⑤

先日の、草薙剛が主演の新米医師のドラマは、主人公が医者の 「役割」 とは何かについて悩む・・・
という物語だった。
もっちろんドラマだから、悩みながらもカッコ良く、主人公独自の 「役割」 を見つけてゆくんだけども。
彼の演技にはいつでも、瞑想のムードを感じて好きなんだけども。

その、
自分の役割・・・
って考えてみたこと、ある?
家庭での、仲間での、会社での、社会での、
いやもっと大きい意味での役割を、追求、してみたことってある?

わたしは
小さい頃から、生まれてきた意味は何だろう・・・ってギモンだった。
この生を与えられた、このわたしの役割って何だろう・・・って
何を、一生かけて実現していけばいいんだろう・・・って
「一生変わらない、 何か ~ SOMETIHNG」 を
一生かけて追及出来たら、実現できたら・・・
それが生まれた意味なんじゃないかなと、思ってきた。
わたしの役割・・・
わたしの天命・・・


DHARMA (ダルマ)

「DHRI (ドゥリ)=保つ」 に語源を持つという、サンスクリット語の 「DHARMA」 。
自らを保つもの、自分を自分としてあらしめるもの、自分が因(よ)って立つもの。
一言でいえば

天命

役割

です

「自立する」 ことの大切さを書いてきたつもりの 「ハ・タ・ヨガとは」
その  に 「カラダが自立すると精神も自立する」 と書きました。
ワタシの「見える部分」=カラダが機能しないと、ワタシの「見えない部分」=精神が機能しないのです。

↓↓↓
だから、脚に、足の裏に、足首に、膝に、腰に、おなかに、胸に、背中に、方に、手に、首に、頭に・・・
・・・彼らに聞いてください。

↓↓↓
まずはゆっくりそこに意識を持っていって。
次に確実にそこを意識で捉えて。
意識の光で照射して。
そしてもっと詳細に感ずるため、他の部分はリラックスして。
不必要な力は抜いて。

↓↓↓
立ってるなら足の裏全体で床を押し踏んでみて。
足の裏の役割を感じながら重心のバランスを感じて。
足と足首が離れるように、
それぞれが役割を持ってじゅうぶんに機能するように、
すじを伸ばしてみて。
バランスをとってみて。

自分の中心
自分を保つところ
 をさぐって。
それが自分の役割
いずれは天命を さがしてみて。



↓「タダーサナをしたら姿勢がよくなりました」だって。
カラダが自立していきいきとその役割を果たせるようになりました、ってことだねemoticon-0115-inlove.gif
ワタシ自身がいきいきと生きるきっかけとなりました、ってことだねemoticon-0123-party.gif
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# by yogabeaware | 2012-05-16 00:17 | ヨガ哲学

NO EXPECTATION !

わたしを、
最初に、e0200565_1941682.jpg
自分が自分の主人になる 「ほんとうの人生」 に面と向かわせてくれた人は
マリオ先生だ。
彼が、
いつでも、
自分に、
奥さんに、
生徒さんに言っていたのが、
NO EXPECTATION!



ヨガクラスの最中にも、わたしたちがインドにヨガの資格を取りにいく前にも、言っていた。
そして結婚前奥さんが遠く離れた地からマリオに会いに来るというときも、事前に彼女に言っていたという
NO EXPECTATION !

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一度、あなたのその期待をはずしてみて。
なんと自分の肩の荷が軽くなるか!
なんとありのままが良いか!

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# by yogabeaware | 2012-05-15 19:11 | ヨガ的な生き方

ヨガの落とし穴

ヨガを続けていくと、自分の内側の未開地帯が発見・開発されていくようです。
身体は柔軟になるし、心は落ち着くし、今まで聞けなかった(周波数の?)音を聞いたり、匂いをかいだり、
いわゆる第六巻が冴えるというのか、第三の目が開けたわ!と喜ぶ人もいる。


~ 落とし穴に落ちてはいけない ~


たとえそれが本当に起こったことだとしても

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それをひとに話しなさるな
いちいちお喜びなさるな
一喜一憂するなんて
それはヨガじゃない

小さな喜びに酔ってばかりじゃ進歩しない
その喜びはただの妄想かもしれないし
「わたしってスゴイ!」って、エゴを生むのだ
「わたし」にしがみついているのは
ヨガじゃない

淡々と、
まるで起こることが他人事のように進むのだ
目的地での喜びは世俗の喜びの比ではない、のだから!


ヨガの落とし穴とは、気持ち良いことや起こってくる喜びがあまりにも嬉しくてそれにしがみつき、エゴがそれに執着・固執してしまうことです。 始めは 「きもちよさ」 はヨガの道の良い指針になります。 でもいずれ、それをも無視する/手放すことが必要となるのです。 それによって、大きく進歩する。 またそうしないと進歩はないのです。
ご参考 → 「いいことも悪いことも同じようにトゲである

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# by yogabeaware | 2012-05-12 21:20 | ヨガ的な生き方

ハ・タ・ヨガとは ⑥ ~ ハタヨガ・プラディーピカー 1章17節

Hathasya prathamaangatvaadaasanam poorvamuchyate.
akuryaattadaasanam sthairyamaarogyam chaangalaaghavam
.


Prior to everything, asana is spoken of as the first part of hatha yoga.
Having done asana, one attains steadiness of body and mind, freedom from disease and lightness of the limbs.                                     Hatha Yoga Pradipika ( 1:17 )   
 


 In raja yoga, asana refers to the sitting position, but in hatha yoga it means something more. Asanas are specific body positions which open the energy channels and psychic centers. They are tools to higher awareness and provide the stable foundation for our exploration of the body, breath, mind and beyond. The hatha yogis also found that by developing control of thedy through asana, the mind is also controlled. Therefore, the practice of the asana is foremost in hatha yoga.

・・・( パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』を根本経典とする )ラージャ・ヨガではアーサナとは座る姿勢だと述べられています。 しかしハタ・ヨガでいうアーサナとは、それ以上のもので、それはエネルギーの流れやサイキック/心霊のセンター(チャクラ)を開く、ある特定のポーズなのです。

それは 「高度な気づきのための道具」 であり、身体、呼吸、心、あるいはそれ以上のものを探求するための 「安定した基盤」 なのです。

ハタ・ヨガの行者たちはアーサナをとおして身体をコントロールする能力を開発してきました。 そして、心もコントロールできることを発見したのです。 ハタ・ヨガではアーサナの練習を、だからこそ真っ先に行うのです。
 ( 『Asana Pranayama Mudra Bhabdha』 by Swami Satyanannda Saraswati  8p )                  
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 ( 写真はビハール・スクール・オブ・ヨーガ出版の 『Hatha Yoga Pradipika by Swatmarama』 )

Yogasanas are not exercises, but techniques which place the physical body in positions that cultivate awareness, relaxation, concentration and meditation.

ヨーガ・アーサナは運動ではなく、「気づいている」という意識、本当のリラクゼーション、集中、そして瞑想・・・それらの能力を自分の内に耕し、開発するために、肉体をある状態に定める技法です。   

 ( 『Asana Pranayama Mudra Bhabdha』 by Swami Satyanannda Saraswati 12p )  

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# by yogabeaware | 2012-05-12 19:45 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑤ ~ Iswara Pranidana 

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と、前回のようにして本当の自立とはエゴを手放すことだと、私たちは自らの体験によって知っていくのです。

それは、この肉体を、この感情を、この心を、このエゴを (道具として) 使った、
本当の経験であり、
内からわきでる知識と、脳・心に残った印象との完全な一致であり、
それは本来人間が悠久の昔から受け継いできた 「人間の叡智」 であるのです。

この内なる智識が、
エゴを手放すこととは人間の本来の性質なのではないか
それがわたしの本当の自由・本当の生なのではないか
という聖なる問いに導き、


やがて 「自立」 の先の偉大なる 境地 ~ Iswara Pranidana ~

手放した先にゆだねるものがあるという境地へ
「神」「大いなる愛」「永遠不滅のもの」が存在するのだという境地へ
恐怖から無恐怖の境地へ
生きながら死んでいる状態からほんとうに生きている境地へ

誰の占いにも魔術にもグルにも聖典にも惑わされることなく
みずからの力で
みずからがみずからを導くように
導かれてゆくのです
みずからがみずからを導くように


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# by yogabeaware | 2012-05-12 19:21 | ヨガ哲学