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ほんとうの知識

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ほんとうの知識は「無努力」とともに起こってくる。

これをヨガのポーズから学んだ。

本や先生の言う通りにポーズをとっていく先には自分の血肉となるほんとうの知識はなかった。

カラダを  無努力のまま  時間をかけて  放っておいて  そしてとれていく  ポーズのほうが

結果、ポーズの完成形に近くなっていった  カタチも  本質も

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無努力でカラダに任せていった先にあったのは

そのポーズが伝えたいことはコレだ!という感覚

それは自分で掘り当てた知識

身についた体験

疑いなきもの

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もし教科書だけ頼りにしているとき、権威ある先生が書いた別の本が違うことを言っていたら、、、
どうするだろう?
きっとその答えを別の本にたずね、別の先生に質問し、別のヨガ教室に行って・・・
「永遠のぐるぐる」を繰り返す。
それはヨガでも、日常でも、学校でも、職場でも・・・起こる。 それを「消耗」と言うんじゃない?

無努力で行うアーサナは、ポーズをとっている最中から私にジワジワとすてきな気づきをもたらしていった。
「気持ちいい」から始まったけれど、それ以上のもの~
~今までいかに不必要な努力を重ねてきたかとか、
それはひとりよがりだったんだ!とか、
自分で自身を束縛してきたようなものだったねぇ、とか、
この「努力」がカラダの歪みを生んでいるんだなとか、
努力を忘れて受け身でいるとき私のエネルギーはこんなに喜ぶのか!とか、
ああそれが「生(せい)」「生きること」なのだとか、そこには時間も空間もないんだなぁ~とか、・・・・・

それらの気づきを経て
信頼する本にあたり、先を歩む先達の話を見聞きしたら、自分と同じようなことを体験してた。
次に自らの肉体を調べてみたら、やけに元気になってた。
次にエネルギーを感じて見たら、快活に軽やかになってた。
すべてが「明るい」ほうに変化してた。

闇から光へ

混沌から快活へ

もうろうから明快へ


↑それが、ほんとうの知識だって裏付けだ。

それも自分の力で掘り当てたから意味がある。
しかもひとりよがりではない。
思いこみでも思いこませでもない。
ほんとうの、永遠の、自らの血となり肉となる知識。
それこそが自分のゆるぎない基盤となるのです。

# by yogabeaware | 2012-07-15 17:35 | ヨガクラスの内容