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わたしの大好きな挿話 1

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「こんな話があるのだよ、聞いておくれ。


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  その牧場には恐ろしい毒ヘビが住んでおり、誰もがそれを恐れて用心していた。 
  ある日のこと、それを知らぬ僧がひとりで牧場を通ろうとするので、牛飼いの少年たちが来て「行かないでください、お坊さま。そちらの牧場には毒ヘビが住んでいるのです」と声をかけた。しかし僧はあわてることなく、「心配するな、坊やたち。わたしはヘビなど恐くはないのだ。なぜならマントラを知っているからね」と言ってスタスタ行ってしまった。少年たちは恐ろしくてその場を動けなかった。
  そうこうしているうちに、ヘビはかま首をもたげて僧のほうへやって来た。僧は間髪をいれず、あるマントラ(聖語)を唱えると、ヘビはミミズにでもなったかのように彼の足下にひれ伏してしまった。僧は話しかけた、「これ、お前はなぜ来る者を傷つけようとするのだ」と。そして「さて、お前に聖なる言葉をひとつ授けよう。それを唱えることで神を愛することを学ぶだろう。そしてついには「彼」をさとり、その荒々しい性格を捨て去るだろう」。
  僧はヘビにマントラを与え、まったく違う生活へと導いた。
  ヘビは頭をさげてたずねた、「師よ、私はどのような修行をしたらよろしいのでしょうか?」
  「このマントラを繰り返し唱えなさい、そしてもうこれ以上誰も傷つけてはならない」
  僧は、また会うことを約束してその地を離れた。

  日が経ち、牛飼い少年たちはヘビがもはや噛もうとしないことに気が付いた。
  そこで彼らは石を投げつけてみた。が、それでもヘビはみじんの怒りもせず、ミミズのようにおとなしかった。
  ある日、少年の一人がヘビに近づき、尾をとって、グルグルと振り回し、何度も地面にたたきつけ、そして放り捨てた。彼は血を吐き、意識を失った。動かなくなったヘビを見た少年たちは、それは死んだと思い行ってしまった。

  その夜おそく、彼は意識を取り戻した。
  ノロノロと、そしてやっとのことで、身体を引きずりながら巣である穴の中へと戻った。骨折したようで、ほとんど動けなかった。
  幾日も過ぎた。
  彼はやせ衰えて骨と皮だけとなった。恐怖のため、日中は外に出ることができなくなったので、夜中にときおり食べるものを探しに出掛けるだけとなった。それに、師である僧からマントラを授与されて以来、彼はすっかり他者を傷つけることはやめていた。そのため土や葉、落ちてきた木の実で命をつないでいたのだ。

  それから一年後、あの僧が来て、ヘビの消息をたずねた。
  少年たちは「死にました」と告げたが、僧は信じなかった。授けたマントラの恩寵を得るまで、ヘビは死なないと知っていたからだ。
  僧はあちこち探しながら、自分が与えた名前でヘビを呼んだ。
  すると師の声を聞いたヘビが穴から這い出してきて、うやうやしく彼の前に頭を下げた。
  「元気にしていたかね?」  
  「はい、私は元気でございます」 
  「しかし、なぜお前はそんなにやせてしまったのだ?」 
  「師よ、あなたは誰も傷つけるなとおっしゃいました。ですから私は葉っぱと果実だけで過ごしてきました。きっとそれでやせてしまったのでございましょう」

  サットワ(純粋性)の性質を育ててきたこのヘビは、もはや誰に対しても腹をたてるということはなかった。だから少年たちが自分を殺そうとしたことなどとっくに忘れてしまっていたのだ。

  師は言った、「食べもののせいだけで、そんなにやせるものか。何か他の理由があるだろう?少し考えてごらん」
  ヘビは、「・・・はい、師よ。今、思い出しました。ある日、少年たちがやってきて、私を地面に叩きつけたのです。ようするに、彼らは無知なのです。どんなに偉大な変化が私の心に起こったか、ということが彼らには理解できなかったのです。私が人を噛むことも、傷つけることも、もう決してないということなど、どうして彼らが知りえましょう」

  「なんということだ!なんという馬鹿者だ、お前は!自分を守るすべを知らないとは!私は『噛むな』とは命じたが、『シューシュー言うな』とは命じなかっただろう? どうしてシューシュー言って彼らをおどさなかったのだ!」


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 それだから、おまえたちも悪い人々にはシューシュー言わなければならないよ。
 彼らがお前たちを害さないように、彼らを恐ろしがらせなければいけない。
 しかしけっして毒を注入してはいけないよ。ひとは他者を傷つけてはならないものなのであるから。」              (ラーマクリシュナの福音 Gospel of sri Ramakrisna)
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by yogabeaware | 2012-07-20 01:10 | ラーマクリシュナ

サットサンガへの誘い

~ 引き続き クリシュナムルティ の言葉
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 (とこれまで私が話してきたことは)人生、というとてつもない地図を観察することだったのです。

・・・

 それゆえにこそ、賢者と交際して生きることがいいのです。
 人をバカにしたりしない、真に賢明なる人と共に生きることが。
 真の知恵は、本を読んでも、知恵を教えてくれるクラスに出席することによっても生まれません。
 知恵は、自分を知ることと共に生まれるのです。


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知恵は、自分を知ることと共に生まれる ~ やっぱり、→ ほんとうの知識 に戻ってきた。

そして

賢者と交際して生きることがいい ~ すなわちサットサンガ、清らかなつどい

・・・振り返るとわたしは生まれてからずっとそれを求めてきた気がする・・・
・・・そして心身が健康になるはずのヨガをする人の中にもいろんな人がいることを知り、また地震や原発事故が追いかけてきて、求めるこころに拍車がかかりあせっていた。私自身が何かにつかまりたかったのか。。

サットサンガは起こるもの。 起こすものでは、ナイ。

あなたに聞きたい。

ある人(もしくは家族)と、いつも仲良くお付き合いをしているけど、だけどそこはかとなく、不安・・・だったりしてない?
付き合いの最中は楽しいけど、ふと、なにか腑に落ちないような、消化不良のような、はっきりしないモヤモヤがあったりしない?
そのひとに気持ちを伝えられてる?
あなたは注意を払われている?
言い合えている?
厳しいことを言う人を避けてない?
その人と共にいる時間はあなたの人生において貴重ですか?
その人がいなくても、自分一人で、大丈夫ですか?


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あなたがほんとうに光のほうに行きたいのなら

自分で自分を知る勇気を持つことだ

それはただ見る ~ クリシュナムルティが言うように ~ ちゅうい・深く、

つまり何の敵意も恐怖もなく、大きな愛情と思いやりの目で、あるがままの自分を見ることだ

それによってあなたの周りにつどうひとたちが変容する

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by yogabeaware | 2012-07-19 14:01 | ヨガ的な生き方

注意深さと愛情と思いやり

以前、投稿した 注意深さへの気づき ・・・ ヨガをやるようになって私は初めて実感した。
互いの不注意さにより私たちはどれだけ傷つけ合っているかを。

注意深くあるということは気づいている、ということである。
対象を意識することである。
対象のあるがままを見、それをそのまま理解しようということである。

それができれば、私たちの関係は変わり(それがひととひとでも、ひとと自然でも)
それによってごくしぜんにこの、私たちが生きている世界が変わるのではないか。。。

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( クリシュナムルティ と A.W.アンダーソン教授との対話 )  ( 生の全変容 196p )

K  サルについては、こんな話があります。
  
   あるとき、ベナレスのいつも滞在する場所で私がヨーガをしていたとき、黒い、尾の長い一匹の大猿がやってきて、ベランダに坐りました。私は目を閉じてヨーガをしていたのですが、目を開けるとその大猿が見えたのです。サルは私を見、私もサルを見ました。大きなサルで、とても力強い感じでした。やがてそれは手を伸ばしたのです。そこで私は近づいていってその手を握りました。

A  握手したのですね。

K  ざらざらしていましたが、しかしとても柔らかでした。実に柔らかだったのです。そして私たちはお互い見つめました。それは部屋の中に入りたがりました。で、私は、いまはヨーガをしているところだから、別の日に来てくれないかと言いました。そんなつもりで話しかけたのです。するとそれは別の日にやって来ました。彼が私を見たので、私は引き下がりました。すると彼は入ってきて、二、三分そこにいましたが、それからおもむろに出ていきました。

A  すばらしい、実にすばらしい。 お二人の間に完全な注意の行為があったわけですね。

K  何の恐怖感もありませんでした。それは恐れていませんでしたし、私も恐れていませんでした。   
よくわからないのですが、何らかのコミュニケーションがあったに違いありません、親しみがあったに違いありません。何の敵意も、恐怖もない状態。そんな状態で見つめたのです。
思うに、注意は練習して習得すべきものではないのです。学校に行って注意深くなるよう養成すべきものではないのです。・・・

・・・

K  ですから私は、注意深くあることには、大きな愛情と思いやりの気持ちがあると感ずるのです。
   それはつまり入念に見守ることを意味します。入念、ディリジェントという言葉は「レジャリ」、つまり、「読む」 ことから来ているのです。ものごとをあるがままに読むのです。解釈せず、翻訳せず、それをどうにかしようと企てずに、目の前にあるものをそのまま読み取るのです。
   
   見るべきことは無限にあります。快楽の中には、見るべきものが実にたくさんあるのです。で、それを読 むには注意深く見守り、丹念に注意を働かせねばなりません。が、私たちはそうしません。私たちは実にいい加減で、不注意なのです。快楽のどこが悪いのだと言って開き直るのです。
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by yogabeaware | 2012-07-19 11:27 | ヨガ的な生き方

ほんとうの知識

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ほんとうの知識は「無努力」とともに起こってくる。

これをヨガのポーズから学んだ。

本や先生の言う通りにポーズをとっていく先には自分の血肉となるほんとうの知識はなかった。

カラダを  無努力のまま  時間をかけて  放っておいて  そしてとれていく  ポーズのほうが

結果、ポーズの完成形に近くなっていった  カタチも  本質も

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無努力でカラダに任せていった先にあったのは

そのポーズが伝えたいことはコレだ!という感覚

それは自分で掘り当てた知識

身についた体験

疑いなきもの

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もし教科書だけ頼りにしているとき、権威ある先生が書いた別の本が違うことを言っていたら、、、
どうするだろう?
きっとその答えを別の本にたずね、別の先生に質問し、別のヨガ教室に行って・・・
「永遠のぐるぐる」を繰り返す。
それはヨガでも、日常でも、学校でも、職場でも・・・起こる。 それを「消耗」と言うんじゃない?

無努力で行うアーサナは、ポーズをとっている最中から私にジワジワとすてきな気づきをもたらしていった。
「気持ちいい」から始まったけれど、それ以上のもの~
~今までいかに不必要な努力を重ねてきたかとか、
それはひとりよがりだったんだ!とか、
自分で自身を束縛してきたようなものだったねぇ、とか、
この「努力」がカラダの歪みを生んでいるんだなとか、
努力を忘れて受け身でいるとき私のエネルギーはこんなに喜ぶのか!とか、
ああそれが「生(せい)」「生きること」なのだとか、そこには時間も空間もないんだなぁ~とか、・・・・・

それらの気づきを経て
信頼する本にあたり、先を歩む先達の話を見聞きしたら、自分と同じようなことを体験してた。
次に自らの肉体を調べてみたら、やけに元気になってた。
次にエネルギーを感じて見たら、快活に軽やかになってた。
すべてが「明るい」ほうに変化してた。

闇から光へ

混沌から快活へ

もうろうから明快へ


↑それが、ほんとうの知識だって裏付けだ。

それも自分の力で掘り当てたから意味がある。
しかもひとりよがりではない。
思いこみでも思いこませでもない。
ほんとうの、永遠の、自らの血となり肉となる知識。
それこそが自分のゆるぎない基盤となるのです。
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by yogabeaware | 2012-07-15 17:35 | ヨガクラスの内容

単にそれでいい。。

(前回から引き続きの話しで)

単に、

受け身でいいんだと思うよ。


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人生を振り返ってみて。

自分でどおうにかしようともがき MANAGE しているときより

あんまり自分で考えてなかったような、直感に任せたような、放り投げたような、

ときのほうが思うようにコトが運んでたこと
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by yogabeaware | 2012-07-13 21:06 | ヨガ的な生き方

しぜんの摂理

で、 「受け身に生きる」って書いたけど、それって、「ひとのために生きる」ってことだと思わない?

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(うつくしいねえ~)

エレベーターに同乗していたおじいさん、あと数階上に行くだけだろうに、
「まったくおっせいな~、ちっ、ちっ」って苛立ってた。
ね~え、自分でどうにも出来ないコトにそんなイライラしなさんな~
こんなちいさなハコの中でイライラ波動を発信されたら、わたしたちにもそんな気分が移るナ。

もしも一人一人が受け身でリラックスしていて穏やかであれば、もうそれだけでこの世はピースフルだと思わない?
遅刻している事実も、エレベーターを早めることも、オレにはできないよと
もし自分の非力に気づき、受け身に行動できたら、自分自身がいやされるのに。。。
きっと自分をいやした力でひともいやせるのに。。。
それだけで自然にひとのために生きれるのに。。。
それが人生のほんとうの満足であるのに。。。
それはこんなにも近くにあるってのに。。。

わたしたちは思いこみをしてない?
人生ってたたかいとか、
主体的に生きるだとか、
思いを実現することだとか、
自分が主人公になることだとかetc...

それらは全部、結果なんだよ、自然に起こることなんだ。そうしようとしてなることではない。
たとえ自分が手綱を握ってやってみて一時的に実現したとしも、
それは泡のように消えてくか、やがてそれに満足しなくなりまた闘いを始めるとおもうよ。

受け身でリラックスして生きるっていうことこそ、「生きる」「LIVE」の本質だと思う。
生かされるように生きるってことだと思う。
そうすれば自然にコトは流れるんだと思う。
受け身に生きるとは何に束縛されているのかに気づき、束縛のないほんとうの自由を生きること。
そのとき自分を愛し人を愛せるんだと思う。
それが自然の摂理、宇宙の法則なんだと思う。
そういう人が増えていくことも自然の摂理であり、これからそうなっていくんだと思う。
受け身でリラックスして生きるっていうことこそ本当の平和活動だと思う。
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by yogabeaware | 2012-07-13 20:38 | ヨガ的な生き方

美瑛旅行~パッチワークの丘♪

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友人と富良野・美瑛に行ってきた。
ラベンダーには少し早かったが、青空に恵まれた美瑛の丘の美しさと言ったら、、、
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丘の自然なカーブに合わせて、麦を作ったり、ジャガイモを植えたり、水田にしたり・・・
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そんな日常の暮らしが、こうして空と大地と緑の素晴らしいハーモニーを生むのだなんて、AMAZING!こんな不思議な世界、神さまにしか作れない!
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富良野の夕景。夕暮れどき独特の静けさ。こんな場所ならなおさら。
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(わたしはこんな知人の言葉に感銘を受けました)
美瑛の丘は意図して作られた景色ではなく、その土地を受け入れ、その特徴に添った労働で生活の糧にした結果なのです。

シルバーバーチの受け身的な生き方の結果が実現しているようですね(^◇^)

それが、自分達の役に立つばかりでなく、見る人を感動させ、癒し、神様の恩寵まで感じさせてくれるという事は、

人様の役に立つことが真の宗教であるというシルバーバーチの言葉からいうとウーンと唸ります((笑))

結果を考慮せず黙々と成すべき事をしてきた神々(人々)の無償の愛ですから、これが本当のカルマヨーガですよね。

美瑛には私の遠い親せきがいますが、入植した当時は美瑛の丘が美しいカーブを描いていたなどと思ったでしょうか?

原生林を黙々と切り開いただけだと思います。

イタリアやヨーロッパの農村風景を真似た訳でもないのですよね。

072.gif友人がブログに旅行記を書いています(写真中の人物デス)
  『ユルリの日々ユル時間』  ・・・ 「大地!」 「金色の大地」 「地球を彫刻する」 見てみて~! 
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by yogabeaware | 2012-07-12 16:35 | 日々。。

受け身に生きる♪

 (うつくしい ・・・ 北海道・美瑛の なのはな畑1 ・ なのはな畑2 を遠くから見るとこんな感じでした)
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たたかう

というコトから

つねに

離れて

生きていきたい



いま痛切に願ってる


                   ♪            ♪            ♪


「あなた方は常にリラックスし、受け身的で、穏やかで、平静で、 しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません」  ( by 『シルバーバーチの霊訓』 )


                    ♪            ♪            ♪


闘っているつもりはないんだけど、
冷静になってよ~く観察すると 「あ~あれは闘ってたんだな~」 「だから辛かったんだな~」
と分かること、最近しきりで。

勝手に、 「これは私に課された試練っ!」とかって思いこませて耐え忍んできた。

そう、たたかうハメになってしまうときって、こうやって心を使って、自分に「〇〇」と思い込ませてきていたんだ。
こうしていったん心を使っちゃうと、あっという間に過去や常識や思惑や社会やエゴやいろんなものが入ってきちゃって、
とたんに、何かと何かの「対立」が始まってしまうのだ。。
過去や常識や社会がそこにあれば、何かと何かの対立が起こるのは当たり前だよ~mmm...

それよりも

もっと純粋な状態、
「常にリラックスし、受け身的で、穏やかで、平静で」 いて、
その、受け身の状態で感じること、観察することを頼りに生きよう。
そのときにはたたかいはないでしょ?。
物事は流れるように流れ
進むように進む

あたり前かあ・・・
この感覚がわからなかったんだなあ・・・


                    ♪            ♪            ♪


(クリシュナムルティとアンダーソン教授の問答より。)
A : 根本での変化。

K : 根っ子での。そうです。そういう変化があるとき、(変化した)彼は、自然に社会に変化を起こすのです。・・・まず、第一に個人、なのです。社会を変えるのは人間個々人の変化なのです。(『生の全変容』16p)
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by yogabeaware | 2012-07-12 15:39 | ヨガ的な生き方

家族の波動

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           (うつくしい・・・北海道・美瑛のなのはな畑。 なのはな畑1コチラ

どんなに喧嘩したって、どんなに口きかないときが続いたって、
居間にひとりでいるときに「あなた」がやってくる。
と、ふっと自分の固いエネルギーがやわらぐ。
口元がゆるむ。
コレ、最近の体験。
家族ってこういうもんだ。
居るだけでいいんだ。
存在してくれてるだけでいいんだ。
口きかなくたっていい。喧嘩しててもいい。
「あなた」や「わたし」が大悪人でもきっといいんだろう。
そんなのは関係なくて、
ただ存在してるだけで満足だ。
「あなた」のエネルギーを感じるだけで、
それだけで「わたし」は満足です。
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by yogabeaware | 2012-07-12 14:23 | ヨガ的な生き方