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あいと自由

人類の99パーセントは奴隷のように働いており、その結果は不幸です。e0200565_11221755.jpg
なぜならそれらはすべて利己的な働きだからです。
自由を通して働け!
愛を通して働け!
「愛」の実現はとても難しい。なぜなら
愛は自由のないところには決してやってこないからです。

                                          (スワミ・ヴィヴェーカーナンダ ~カルマ・ヨーガ~ 73p)

  
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by yogabeaware | 2012-01-28 17:24 | ヴィヴェーカーナンダ

震災後の生き方

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 サマセット・モーム 作  「かみそりの刃」  主人公ラリーの言葉より

いいえ、やれます。
車輪を発明したのも一人でした。
引力の法則を発明したのも一人でした。
この世に起こることで、なんにも影響をのこさないなんてものは、ひとつとしてありません。
たとえば、池に石を投げるとする。
投げる前と投げたあとで、世界は決して同じじゃありません。
・・・
・・・
たとえば、ある人間が完全、純粋になった場合、その人格的影響は必ずひろまり、
かりにも真理を求める人間なら、当然惹きつけられていくにちがいないんです。
もしぼくに計画通りの生活がやれるとなれば、おそらく他人にも影響を及ぼすことになりましょう。
もちろんその影響は、池に投げた石が起こすさざ波にすぎないかもしれません。
が、さざ波はさざ波を生み、
さらに第三のさざ波を生むに決まってます。
ほんの何人かでもいいんです、
もしぼくの生活が幸福と平和をもたらすものだとわかれば、
次にはそれらの人たちが、その学んだものを、きっとまた他の人たちに教えてくれると思うんです。
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by yogabeaware | 2012-01-28 15:35 | ヨガ的な生き方

あなたの奥底に眠るダイヤモンド

« ヨガが終わったあと、キラキラな気分になるのはわたしだけでしょうか。»

1月のヨガが終わりました。
今回は、「いのち」を豊かにする素敵なスペース、東京・三鷹市の沙羅舎さんにて行いました。
私が東京にいる時には必ず通う、抱一先生のヨーガ塾シュリー・チャクラもこちらです。
このほか、アートセラピーやフラワーエッセンス、手技療法なども行われていますが、
そんな清らかで静寂な空間で、伝えたいヨガを皆さんと分かち合えたこと・・・
それをとても嬉しく思っています。


>« ヨガが終わったあと、キラキラな気分になるのはわたしだけでしょうか。»


とは、いつも私のヨガに参加してくれる、大事な友人のことば。

本当に。

そのとおり。

なぜならヨガは、彼女の言う、「キラキラ」そのものにダイレクトに通じてしまう技法だから・・・。

その「キラキラ」とは・・・、あなたの奥底に眠る宝物。宝石。ダイヤモンド。

あなたはヨガのあいだ中、それらに触れて一体となり、そして平安でしあわせ・・・。

そう、理由はいえないが何故だか本能的に、

あなたはそれがまやかしや一時的なものではないことを知っている。

それは、自分が知ろうとすればいつでもそこにあり、

常に美しい満足感にあふれたものだと知っている、

そう、なぜだか知ってしまっているのです。

>知っている

ということは、あなたはそれが何か実はわかっているということ=初めてのものじゃない。経験していた。

それならそれは、

あなたと別の物ではない。実はあなた自身・・・


ダイヤモンドはあなた自身

あなたはその喜びをすでに知っているから喜ばしい

ここに何の矛盾がある?

私はこんなヨガを

私はこんなヨガをみなさんと分かち合いたいと思っています
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by yogabeaware | 2012-01-26 16:34 | ヨガクラスの内容

ヨガアーサナの効用 2

強制してはならない。
ヨガのポーズをとるときに、力を使って強制してはならない。
だからといって、だら~んとするのではない。
力を入れず、只リラックスするのではない。                 (前回のブログより)



言われてもどういうことだかわからないよね。

ヨガの先生や本では不十分。
自分の内側に「ガイド」が必要だ。
何をガイドにするか?
と迷っていたとき、「ヨガ」という言葉の中にヒントはあった。

ヨガとは「合一」とか「バランスをとる」という意味。→そう、「バランスをとる」ということをガイドにしよう。

・左右の、前後のバランスがとれるように。

・バランスがとれて、

・どこにもモヤモヤやよどみがなく、

・すっきりと透明な軸を探して。

こうしてバランスというガイドを頼りにポーズをとってみると、
やがて軸が見えてくるのだ、ポーズの軸が。
どんなポーズをとるときにもぶれない軸。
それが徐々にわかってくる。

そして軸を中心に、
身体を曲げたり伸ばしたり縮めたりして、ポーズが展開されていることがわかってくる。
=ポーズの本質に近づく。
=ポーズの理解。
理解されてくると、
強制ではなく、ちからづくでなく快適にポーズをとることができるようになってくる。

ここにはもっと深い意味がかくされている。
↑↑↑バランスをとる、ということには。
バランスをとるには状況の理解が不可欠。
左と右のバランスをとるには、左のことも右のこともわかっていないと。
無意識でぼんやりとしていては無理だ。
はっきりと明晰に理解していないと。
また当り前のことだが、

左右のバランスをとるには左も存在し、右も存在しないと不可能だ。

私はこう思っているの。

いいことも悪いことも
喜びも悲しみも
存在しないと
バランスはとれないのだ。
それらが存在しないなら、、、
つまり喜びだけでも
悲しみだけでも
この世は存在し得ないのだ。
それらの多様な存在に意味があるのだ。
そう思う。
そしてそれらの存在の意味を理解し、ついにバランスがとれたとき、わたしたちはそれらを超越できる。
左と右、いいことと悪いこと、二元性を超越できる。
そんな至高の体験を、
バランスの軸をとりながらヨガアーサナをすることで、わたしたちは疑似体験できるのではないか。
わたしたちはこのようにヨガアーサナをすることで、
善と悪、光と闇、愛と憎しみという二つの極を超越し、
均衡と平衡の調和の境地の疑似体験をしているのではないか。

そう考えると、ヨガアーサナがいかに偉大であるか驚くばかりである


強制ではなく、ちからづくではなく、生きていきたい。Spontaneous Living of Yoga のホームページ → http://spontaneousliving.org/

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by yogabeaware | 2012-01-20 20:43 | ヨガクラスの内容

ヨガアーサナの効用

強制してはならない。
ヨガのポーズをとるときに、肉体を力で強制してはならない。
だからといって、だら~んとするのではない。
力を入れず、只リラックスするのではない。

~すっきりと透明に~

そこにはまったく強制なんて無い。
たとえ大変なポーズをとったとしても、強制感を超越した気持ち良さ心地よさ。

腕をまっすぐに伸ばすときも、指を揃えるときも、
力で伸ばしたり、力で揃えているのではない。
~伸びてもリラックスしてる~
まるで腕や指がどこまでも気持ち良く伸びるような。。。
伸び続けて自分のものでなくなってしまうような。。。


そんなとき

自分がもう「無い」ような軽やか感を感じます
自分と他のものたちを仕切っている境界線とか
じぶんとはこうだという頑固な概念が
ゆるみだすのを感じます
だんだんどーでもよくなってゆくの
自分ががんばってるもの
かたひじはっていることが
守っているいることが
どうでもよくなってゆく
そしてそれは自分自身をがんじがらめにしていることに
ヨガのポーズを通して完全に気づき
とにかくどーでもよくなってしまうのです

自由だ!自由だ!
という満足感・喜びと
内に秘めていた花が
開花するようなおだやかな高揚感が
わきおこるのです

わたしたちそれぞれの、内に秘める花を開花させるような生き方を・・・Spontaneous Living of Yoga のホームページ → http://spontaneousliving.org/

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by yogabeaware | 2012-01-20 20:13 | ヨガクラスの内容

生かされていると気づく

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無心で大声をあげて
無心で内容を紹介して
無心でチラシを配った
何時間も
終わったあとは雲ひとつない真っ青な空のような気持ち
すがすがしい
としか言いようがない
・・・
私と
「それ」(私)を動かす力
その力との繋がりにただただ驚き
この機会を与えてくれたことに感謝していた
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と、前回のブログに奉仕活動をしたときの感想を書いたけど、それは
「無心」 ・ Ego-lessness ・ エゴがない状態 
が自然に「起こってしまった」かのようだった。
「無心」になるぞ、と自分でがんばるのではなく、
それがしぜ~んに=spontaneous(自然発生的)に
起こってしまったとき、
なぜか頭を使ってフルに考えているいつもの私じゃない、私(?)が、
いつも考えないようなことを感じてる、
いや考えても感じてもいないと言ったらいいか、
ただ「それ」がわきあがってくる。
「それ」っていうのは「真実」とか「真理」「叡智」とかいうもの。
そう、そういうものだってこともわかってしまう。

あのときは

私と
「それ」(私)を動かす力
その力との繋がりにただただ驚
いた。

わたしは生かされている
わたしはひとりじゃない
わたしはわたしを生かしているものと
いつもいっしょだ


という真実を知った体験だった

私は神様なんてなにさま?!って信じてこなかった。が、このような体験は常識や価値観に勝る。
Spontaneous Living of Yoga のホームページ → http://spontaneousliving.org/

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by yogabeaware | 2012-01-20 18:00 | しぜんにおこる

知識と体験を両輪に進む

ワタシ は 知識の押しつけが キライ。 だけど この世は 知識の押しつけばかり。 学校、テレビ、マスコミ、政治 ・・・ デモこれからの 知恵は 世間的な知識を 自分にため込むことではなく、 自分の体験を 大切にすることだと思っている。 体験によって 得られる 事実、 それによって、 さまざまな問題の 是か 非かを 見極める 力が そだってゆく のではないでしょうか。  ”Life is a university.  I'm a student of life.”


ワタシは、知識の押しつけがキライ。
自分が納得しないと血肉にできない。
「ただ信じなさい」という宗教や
「ただ真似をする」感性もイヤ。
ヨガを始めてからも同じ。
ヨガの本や聖典・聖者さえ、自分でよく精査しないと前に進めなかった。

そういう人は前進がゆっくり、、、
ああ、スロースタータ、タ、ター
でも今はそれがいい、と思っている。
それが安全、それが真実の道、それが実は近道・・・?

今日はカルマヨガとは何か、それを知識と体験で知った、ということをお話したいです。


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さて・・・
ヨガって言っても、身体を動かすものだけがヨガじゃないんだよね。
ヨガの勉強をし始めると「カルマヨガ」っていう、簡単に言うと、「奉仕のヨガ」があることを知ります。
カラダのヨガではなくて、無報酬の、自分を滅して奉仕する、行為(カルマ)のヨガです。
大体のひとは、通っている教室やアシュラムで、「奉仕の時間」があることで知るんじゃないかな。
(それは掃除や料理やヨガレッスンをすることやボランティア活動などさまざま)
そうして奉仕のしごとを与えられたり、奉仕の仕事をしている人たちを目の当たりにして、
ぼんやり「カルマヨガ」ってそういうことって、消化してしまうことが多い。
カルマヨガとは何か。
自分を滅して見返り・報酬を期待しない行為、という本の知識はあったものの、
私はその本質を理解していなかった。
だからはじめはカルマヨガのさるまね~
さるまねだから知恵は浅はかだったよ→まず無料でヨガのレッスンをやってみました。

しかし、、

ヨガを教えているのに、、平安ではいられなくなる。
生徒さんのわがままが目についてきたり、文句を言いたくなったり・・・
身体を清めるヨガアーサナを教えているというのに、内側では「偽善」の仮面をかぶったエゴというウジ虫がウヨウヨ・・・
一体これがヨガ?、カルマヨガというのであろうか。。。

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ヨガは何がいいかって、身体を刺激することで、心にもいい刺激が伝わり、そして魂にも・・・
っていう「浄化」の連鎖が素晴らしいんだよね。
カルマヨガも、何も期待しないことで行為に集中する、
集中することにより浄化されるんだよね、心が静まる。
なのに私は、表面はお金をいただきませんなんてヨガの修行者ぶって内側ではドロドロ・・・
こういうのが一番手に負えないよ。真実を知ったら周りは悲しむぞ~


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それでもカルマヨガってどういうものか知りたくて、
自分の血肉にしたくて、ヨガの道を進むなら完全に理解したくて、
自分に何の見返りもなかったり、自分の時間や行動を犠牲にして奉仕する機会を得てはやってみていた。

ある日・・・

それはインド大使館でのイベントチラシを道行く人に配布する仕事だった。
イベントは日本とインドの歴史的つながりと、インドの霊的歴史の展示だった。
それは文化的展示でもあり、インド哲学的な、あるいはスピリチュアルなインスピレーションを刺激するような展示でもあった。
人によっては「宗教だ」と片づけるかもしれない。
でも私はその内容が真・善・美、真実で美しいもので善いものであるということに確信を持っていた。
確信を持っていたからその仕事に対して無条件で心をひらけた。
無心で大声をあげて
無心で内容を紹介して
無心でチラシを配った
何時間も
終わったあとは雲ひとつない真っ青な空のような気持ち
すがすがしい
としか言いようがない
私は何も欲しくない
何も欲しくないことに満足していた
結果的にイベントは盛況だったようだけど
私にとってはそれはどうでもよくなりつつあった
私と
「それ」(私)を動かす力
その力との繋がりにただただ驚き
この機会を与えてくれたことに感謝していた

あきらめずに経験しつづけることでカルマヨガの本質を体験できた。
こうしてやっと私はカルマヨガとは何かとひとに語れるだけの知識と体験を得たのです。

私が体験した出来事は、「内側から自然にあふれてきた」ことです。それを考えると、ヨガの聖者たちが言うように、体験はすでに内側にあったと言えると思う。私はそれを SPONTANEOUS(スポンテーニアス=自然発生的な) LIVING(生き方)と呼びたい。それはもっとも自分らしい至福な生き方。そしてヨガはそれにチューニングするツール。私はそんなヨガを伝えていきたい。ホームページ:Spontaneous Living of Yoga もご覧になってみてください。

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by yogabeaware | 2012-01-18 23:25 | しぜんにおこる

自然に生きる

ご無沙汰しておりました。昨年の3.11後、私は「本当の自分」というもの、「自分の軸」「拠って立つもの」を確立しなければ前に進めなくなりました。いままでぼんやり感じてきたものの検証や、それを概念化する時間が必要だったのです。やがてはっきりした「自分が拠って立つもの」とは・・・それはヨガの先達が言っているように自分の内奥にあるのでした。つまりあるがまんまの自然な自分で生きること。それが「本当の生(せい)」。それがさまざまの争いを調和していく「力」なんだと。「自分の軸」とは道徳でも、宗教でも、お金でも、知識でも、名声でもない、「生き方そのもの」でした。

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それは呼吸に集中した誘導瞑想をしてもらっているときだった。

最初は、自分で息を吸ったり吐いたりしていることに、自ら気づき続けるというもの。
>息をすって~、はいて~
>すって~、あ、吸う途中で苦しいところがあるなあ
>腰のせいかなあ、こう座ればラクに吸えるかなあ
>あ~、呼吸を操縦しているみたいだあ
>苦しいなあ、その理由をいろいろ考察しちゃうなあ、なんか疲れるなあ
>なんかコレ瞑想じゃないよなあ

このようにその日は呼吸との格闘のようだったが・・・

その日の瞑想の最後は
「自分で」している呼吸、ではなくて

「自然に発生する」自分の呼吸に気づき続けるというものだった。

>え?自然に発生する???
>呼吸がおこるようにおこす?
>そのまま放っとけばいいの?
>いつも無意識にしている呼吸を、無意識じゃなくて気づき続ければいいの?
>自然な呼吸でいいの?
>さっきまでみたいに、吸うこと吐くことにがんばらないでいいの?
>それをただ観てれないいの?

と、
あれこれ考えている心より先に身体が、自然に発生する呼吸をしちゃった

そう、まず身体が「自然に発生する」(SPONTANEOUS)ことはこういうことだと知った瞬間、

それまでせき止められていた呼吸
すなわち「いのち」がフロー
流れるように流れて動き出し

つぎは感覚で感じた、ああきもちいい・・・と

そしたらきもちいいならきもちいいでいいじゃん!と
きもちいいもんだから
はアレコレ考えずに素直に「今のまま」を受け入れて、


そして、ふだんはすべてのことを監督したがるが、
もう手綱を手放そう、

手綱のコントロールに疲れるよりも、
手綱を手放したほうが、なあんだ、きもちいいんじゃん

。。。ってことになりました。

その日はいつまでもその瞑想でいたかった。

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自分を引っ込めることにより偶然にも起こった

平安さに包まれたような自由さや
開放感
このままでいいんじゃん!という肯定感




現状や自分を含むすべてのものへの満足感
怖れるものはほんとはないんだという感覚
を生じさせ、

私は落ち着いた中に、日常の無意識の生活の中では感じることのなかったイキイキとしたいのち
その永遠性と


わたしは自分で生きているんじゃない、生かされているんだというフィーリング

そして私は何かにつながっている
それも偉大なものに!という安心感


わたしはその日、それまで少しずつ感じはじめていた
「自然」であるということ
「自然」に生きるということ
とはどういうことなのか
はっきりと理解し始めたのです。
SPONTANEOUS に、つまり自然に生きる、という誰にとっても至高な生き方に、こうしてヨガが気づかせてくれました。私のヨガの活動はそれに気づく、ということが軸となります。そうしたヨガ活動と、将来に向けてチャレンジしている活動も含めて、アップしていくホームページを作りました。こちらのブログとともにHPSpontaneous Living of Yoga もぜひご覧になってくださいませ!生き方を変えなきゃ何も変わらないぜっていうHPです^^!ご意見・コメントもじゃんじゃかお待ちしております!

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by yogabeaware | 2012-01-13 11:14 | ヨガ的な生き方