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ヨガは、「注意深くなる=心の精度を増す」ための練習

小さい頃、テストを家に持ち帰るたんびに、
「みわちゃん、ケアレスミスをなくそうね。時間までよく見直ししようね」と言われたものだ。

私たちの毎日は、ケアレスミスのオンパレードだ。
この一歩、このひと手、
さえわからない。
この一歩、この行為の意味がわからないんだから、
より全体の「日々」を送る意味がわからず、
より大きな「人生」の意味がわからず、「生まれた」意味がわからず生きている。

なんと!
せっかく与えられた人生を、ただ訳もわからず、もうろうと生きているとは!
その一つの象徴が原発事故ではないだろうか。

ヨガのアーサナ(ポーズ)は、ただやれば身体が柔らかくなったり、健康になるってもんじゃない。
やってもやっても柔軟にならなかったり、
やって柔らかくなったけど、筋肉や腱を痛めたりすることもある。



ヨガのアーサナをもうろうとやっているとそうなる。
ヨガのアーサナを自分の思いこみに魔やかされてやってるとそうなる。
つまり、注意深くやっていないとそうなる。
つまり、注意深く観察していないとそうなる。
つまり、瞬間瞬間に気づいていないとそうなる。
アーサナが何を言いたいのかに気づかないとそうなる。
アーサナの本質が見えてくる気づきを持たないとそうなる。
アーサナの本質・エッセンスがなんであるか明確に理解していかないとそうなる。
アーサナの本質はこれなのか?これなのか?とポーズ自体を変形させながら(実験しながら)、
自らの体験によってアーサナの本質に気づく。
これがヨガだ。

そして、それ自体はヨガの本には載っていない。
ヨガの本に載っているのは、その気づきのほんの1パーセントだ。
ヨガの本やヨガの先生が言っていることがすべて、と盲目に信じて、
いっぽう自分の気づきをもうろうとさせてはいけない。



政府や企業の言葉をもうろうと信じてしまって、今の原発問題がある。



私たちは、自らの不注意さのために傷ついている今と同じことを繰り返さないために、
生き方を変えていかなければならない。

もっと注意深く、

もっと本質を知る注意力を増し、

心の精度を上げて、

もっと気づきに満ち、

起こる物事や事象の性質・本質を見極める力をつける。

日常生活でもその力をつけていけるが、
ヨガは、
もっと容易に心の力をつけていける素晴らしいツールだ。

(次回、具体的にその方法を書きこみたいと思います)
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by yogabeaware | 2011-04-28 12:09 | ヨガクラスの内容

注意深さへの気づき

ひとがひとを批評するのは好きじゃない。

批評している相手の何を知ってる?

何も知らないじゃない、そのひとのおいたちも、人生も、信条も、

と思う。

それでも、私たちは毎日、

ひとがひとのことをあれこれ、

ひととひとを比べたり、自分とひとを比べたりしながらなされる、

そのおしゃべりに、批評に、巻き込まれている。

願うならば、

その一言に

その一言にもう少し注意深さのひとかけらを持っていてくれたら・・・

「私は今から語るひとの、すべてを知っているわけじゃないけど」

そんな謙虚な気持ちを持ってくれたら・・・

その一言を私にくれたら・・・

その話を聞いている私は傷つかないのに・・・

私はあなたのおごりに傷ついている

海は私たちのおごりに傷ついている

大地は私たちのおごりに傷ついている

自然は私たちのおごりに傷ついている

動物は、原発は、社会は私たちのおごりに傷ついている

私たちはあまりにも注意深く生きてこなかったので、今、その不注意さからくるおごりに

自分たち自身が傷つき、苦しんでいる


ブログ : 「残酷さへの気づき 1」 「ことばの力

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by yogabeaware | 2011-04-26 12:15 | ヨガ的な生き方

ハンス・コパー陶芸展

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by yogabeaware | 2011-04-25 01:38 | 日々。。

同情と、そしてプラスアルファ

「 私たちは今回の大震災などが起こったとき、被災者の方たちの中に、『もし自分がそうだったら』
って同情を感じて、そして何かするんだね。

でも聖者は違う。慈悲、なんだね。

マザーテレサは隣に死にゆく人がいようとも、黙々とベッドのサンを拭き、慎重にボトルに水のしずくを入れる。
もちろん同情が悪いということでは決してない。

ただ、私たちは同情から何かして、聖者は慈悲から何かするってことなんだね 」


        ☆         ☆         ☆         ☆         ☆      


震災後すぐの私は、まさに同情の怒涛の渦の中で、ほんとうに苦しかった。
ネットを見ても、同じエネルギーが私を巻き込み、大変だった。
しばらくして疑問を感じた。
今の私の状態、これでほんとに現実を直視できてるんだろうか、
今のみんなの支援、救いたいという感情は長続きするんだろうか、
なにか、根本から変わっていかないと同じことの繰り返しになるんじゃないか・・・



        ☆         ☆         ☆         ☆         ☆      


   
◎ヨガ友 みきちゃんからのメール

みわこさんの伝えたいこと、よくわかりました。

わたしは、原発のことも、こどもたちのことも、枝葉の部分だと思っています。

大事なのは、根っこのところ。

それが変わらないとなにも変わらない。

ずっとそう思ってる。

そこからまず自分自身を変容させていくこと。

ひとりひとりがみずからが神聖な存在であること、みずからの平安なる神殿にアクセスすることができるんだよって
伝えたいんだよね。

わたしはマッサージやお手当てを通してそれを知った。

さらに、みわこさんのヨガで、より簡単に神殿へチューニングできるんだって知った。

ひとりひとりがそれを知ったら、世界はどんなに平和になるかって感じるし、それは可能なんだって思ってる。

わたしはそういうことを伝えたい。

みわこさんの言いたいことと共通してるよね?


        ☆         ☆         ☆         ☆         ☆      



聖者のように慈悲深くありつづけることは私にはなかなかできない

でも同情とそしてプラスアルファ

同情とそしてそこから離れて見ている、幾分かの達観した見方、感性、

それも持ち続けたい

離れて見ていると物事を「調和」して進めていける気がする


 冒頭は抱一先生のことば     みきちゃんのブログはこちら

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by yogabeaware | 2011-04-19 10:24 | 日々。。

どーでもいい

昨日の東小金井ヨガでは、IZUMIちゃんと話が拡がって、
「最近のIZUMIちゃん、な~んかハートがオープンemoticon-0152-heart.gifな感じがする~」って話したの

そしたら、
「そ~かな~? でも、『どーでもいいー』ってことが増えてきたよ~emoticon-0102-bigsmile.gif
だって。
「例えば、『ヨガ、いいよ、気持ちいいよ』って人に勧めたり、
途中から休んじゃってる人に話したりするんだけど、
相手が自分の話からどんな行動をとろうとも、どーでもいい、
って言ったら言葉がわるいかもしれないけど、気にならなくなってきたし、
自分が出来なくて無理なことは『ムリ、ムリ』って言えるようになってきたemoticon-0100-smile.gif

同じクラスのみきちゃんも、まえ、言ってたよな~
「ほとんどのことは『どーでもいいー』んだよねemoticon-0102-bigsmile.gif」って。


大発見だよ!
「どーでもいー」っていう感覚は
自由へ向かうもっともしぜ~んな方法、なんだね!
EVERYTHING IS OK!
すべては YES!
っていう感覚なんじゃない?!

なんてヨガは素晴らしいの!

ヨガは生き方そのものなんだ!

WAO!
くらくらしそう!

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by yogabeaware | 2011-04-19 08:50 | ヨガクラスの内容

ニランジャン師の新年の挨拶より

「新年の祈り」                    スワミ・ニランジャーナナンダ・サラスワティ

毎年新年を迎えると、私たちは、お互いにその年の幸せや健康を祈ります。
しかし、その祈りを年頭の挨拶としてだけでなく、実現させるにはどうしたらいいのでしょうか。
1月2日になると、元旦の喜びは消え、新年の困難が始まります。
同じ日常、同じ問題、同じ欲望や叶えられない望みが始まるわけです。
つまり、私たちは、単に思考の上でのみ、祈っているわけです。

どうしたら、年頭の幸せの願いや祈りを、先へと続く現実へとつなげていけるのでしょうか。
実は私たちに幸せや喜びを与えてくれるものは、私たちの努力や野心から来るものではありません。
それは、神からの恩恵、大いなる存在から来るものです。
まずはそれを心得てから、探し、求めることです。

探し方、求め方は、シンプルです。
思考のひとつひとつ、行動のひとつひとつを大いなる存在へと捧げるのです。
「私」がしているのではなく、「私はただ大いなる存在の命(めい)にしたがっている」という態度や考え方です。
そして義務や責務、約束を果たしますが「私がすることの全ては、私自身を満たすためではなく、神の意思によるもの」なのです。

こうした考え方を元に、個人的な悩みに取組み、両手を広げて生きること、幸せに、また喜びを味わい生きることで、大いなる存在の恩恵を享受できるものとなります。そうした恩恵の下に、喜び、充実、平安があるのです。

毎年、皆、新年の抱負を語り、二日後には忘れてしまいます。
幸せな年になるようにという祈りは、それと同じように忘れられた祈りなのです。

一年間試してみましょう。
あなたの行動(=カルマ/KARMA)の全てを、あなたの思考(=ヴィチャラ/VICHAR)の全てを、あなたの願望(=イッチャ/ICCHA)の全てを、神に捧げます。
そして言いましょう「私のすることは、誓約をを果たすためであり、私自身の満足感や喜びのためではない」と。

そして、もし一年間こうした生き方をすることができたなら、あなたは、シャクティ(潜在的なエネルギー)の力がどのようなものなのか、神からの恩恵の力とはどんなエネルギーなのかを経験し、理解することとなるでしょう。

エゴ意識は、あなた自身の身体や感覚を制限し、自分本位なものとします。
そのエゴ意識を超越することが出来た時、あなたは恩恵に授かるものとなり、恩恵を受けるべく器を備えることとなります。

新年を迎え、私は、あなたの幸せを祈るのではなく、あなたが神の恩恵を享受するものとなる年となるよう、またそうなるようあなたが一年間励むことのできるよう祈ります。
Namo Narayan
                    

2011年1月1日 インド・ビハール州・リキアにて
Swami Niranjanananda saraswati
( Bihar School of Yoga )

ビハール・ヨガスクールのようすは ZENTRA YOGA の ヨガ日報の 
2011年2月13日 「ビハールへの旅」 / 15日 「ビハール州 サチャナンダ・アシュラムへ」
見てみてください、ふんいき、すこ~しわかるかと思います

(投稿した今日、4月15日はベンガル歴新年/新年度のはじまりの日だそうです!)emoticon-0148-yes.gif

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by yogabeaware | 2011-04-15 11:57 | ヨガ的な生き方

ただ在る

生きているのでも

死んでいるのでもない

ただ在る

ただ在るということへの気づき

私があるというのでも

私が体験してるというのでもない

ただ存るということへの気づき

ただ存るということへの気づき

そのフィーリングが無限際に拡がっていく

そのフィーリングはあまりにもかけ離れている

私の知っているものからはあまりにもかけ離れているものではあるが

どこまでも拡がっていき

痛烈に共鳴してゆく

そのフィーリングに

在るというフィーリングに

今まで流したことのないような涙を流すのは

そのフィーリングを

たぶん意識の奥の奥底で

私は知っていた

ということなんだろう        
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by yogabeaware | 2011-04-15 10:40 | あるがまま

祈りの体験

ヨガ友のブログを読んで、久しぶりにほぼ日刊イトイ新聞を開けた。

 できることが見えにくいときに、
 ふと、ぼくらのような信じる心のうすいものでも、
 「祈る」という方法を思い出します。
 「祈る」が変えてくれるものは少ないかもしれないし、
 もしかしたら「祈る」より先にすることはある、と、
 叱られてしまうのかもしれませんが、
 「祈る」ことはやっぱりするべきだと思うのです。

 それは力を持たないように見えても、
 実は「虚無」に対抗できる、
 とても実際的な方法だと思うからです。
 「祈る」ということは、奇跡を起こす力であります。
 坊さんでもないのに、そんなこと考えています。


誰が言ったのか忘れたけれど、
現代人は祈りを最後の手段にしてしまった。祈りは最初にすべきものなのに
という言葉をききました。。。

祈るより、ずっと簡単にいろんなものが手に入る現代
イトイさんの言うように、祈ることよりも先にすることがあるような気がしてた
でも、大震災がきて身も心も真っ裸かにされたような気分のなか、
私たちは本能的に、あふれでるような祈りの行為をした

私たちは体験したのかもしれない、祈りとは本能だということを
人間にとって祈りとは
食べるとか生きるとか以前のもの、
それらを通り越したところにある、
純粋な思い

私たちは体験したのだ
祈りとは日常をとおり越し
自分で囲った世界をもとおり越したところにある
純粋でポジティブな光
そしてそれはあふれでてくる
あふれでてくるほど持っている、私たちの本能なのかもしれないということを
その片鱗をいま私たちは体験している
祈りとは何かということをいま私たちは心と身体と魂で体験している

I am bliss, I am bliss, Bliss absolute, Bliss I am
(ヴィシュヌデヴァナンダ先生のシヴァナンダアシュラムで毎日うたうキールタン「ジャヤ・ガネーシャ」の一節です。
この部分をうたうとき私はハートが高鳴ります)

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by yogabeaware | 2011-04-09 23:35 | 日々。。

ヨガは自分の道を知る手助けになる

おもしろいことにヨガを続けていくと、
選択した今の行為が自分にフィットしているのか、それは自分らしくあるために必要なのか
そのキャッチセンサーがすっきり冴えてくる。

おもしろいんだ。
たとえば毎日おんなじ道を歩いてても 「めっちゃ、きもちいいー!」 時があるんだ。

関節がぶらぶらするほどやわらか~い
疲れ知らずにスイスイスイスイ歩けて
視線はいつもより広ーい視界で
そして遠くまでスーッキリよーく視える
呼吸がきもちいい~
身体がきもちいい~
アンバランスな感じ消えている~
いつもの凝りが消えている~
か、消えてなくても気持ちいい~
いつものものがよりいきいきとみえる~



そんなとき、私は感じてる、今の行為は正しいんだって。

今の歩き方も心の持ちようも、

そして、

「今」に関わるすべての行為、

昨日選択した「今」につながる行為も、

今から選ぼうとする「今」からつながっていく行為も、

ああ、正しいんだ

自分に必要なんだって

身体と心が反応してる

教えてくれる

自分らしくあるために

自分の魂があるがままであるために

心と身体が魂とつながって私に教えくれる

OK だよ って



それを私は体験してる




おもしろいことにヨガを続けていくとこうして

行為と

身体と

心の関係

がさわやかにわかるようになってくるんだ!




おもしろいね

素敵だね



ヨガは、リラ~ックス と 気持ちいい~ から始まるんだけれど、

それが深まっていくと「魂があるがままのしあわせ」に繋がっていける、自然に。

ヨガをしている最中の今が

「魂があるがままのしあわせ」だって肉体が心が教えてくれる



そう、はじめは「自分が」きもちいい~と感じるんだけど

それが深まっていくと「肉体や心」が「魂があるがままのしあわせ」に繋がっていく。

そう、ヨガの練習を続けていくと、

自然に主役が「自分」から「身体」「心」「魂」へ移り変わっていくんだね。

ヨガの練習を続けていって、ああ、そうだ、私はしあわせだったんだ!と、

そのしあわせを思い出したこころとからだが、

今度はこころとからだのほうから「きもちいい~」「しあわせだ~」って「私に」教えてくれる。

ヨガの練習を積んだこころとからだは

常識や価値観や他人の目の恐怖をまとわない「あるがまま」の状態を思い出す

そのよろこびを思い出す

そしてそんな清々しいこころとからだが「私」の指針になってくれる

教えてくれる

今の選択が OK か NOT OK かを!




おもしろいね

不思議だね



本当にヨガはおもしろい科学だ

本当のヨガを続けていくと、<行為とからだとこころの法則>がこうしてわかってくる

真実のことは何てシンプルなの!

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by yogabeaware | 2011-04-07 08:54 | ヨガクラスの内容

震災前と震災後

人は粗末な糖みつで満足していると、氷砂糖でできたおいしい飲み物は欲しがらないものだ                                       (『ラーマクリシュナの福音』 159p )


震災前と震災以後。。



震災前。。私はもっと弱かった。中途半端だった。



震災後。。


元には戻りたくない!

原発にも、
過度の浪費社会も、
うわべだけの言に葉のやり取りにも、
心を忘れるほどの物質への極端崇拝にも、
人間だけが万能だと思い込みすべてをコントロールしようとするおごりにも。。。


元には戻りたくない、元の弱い自分にも!

私は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが言う「ライオン」のように強くなり、

人間のもっとも人間らしい生き方をみんなと共に求め、共に歩こうと伝えよう!

それが私の SVA DHARMA スワダルマ(自分の人生の仕事)だ。

沸騰した、物質中心の消費社会にも、

弱い自分にも、絶対に戻らない。

方向転換する。

「ほんとうに生きる」ことの道へ。
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by yogabeaware | 2011-04-05 08:43 | ヨガクラスの内容