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清水のように

            清水は湧き続けるがみなもはしずかだ   作品 小林孝亘 Bort  


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心に言おう。
私は落ち着いていると。
私は静かで堂々としていると。

余裕があると。
静かで周りを見渡す余裕があると。

すべては受け入れられると。

いまや、わたしはこんなにも静かで、落ち着いていて、澄んで、美しく、堂々たるもの。

すべてはOK
すべてはWELLCOME
それがわたし。

「VOICE OF VIVEKANANDA」
Close your lips and let your hearts open.
Work out the salvation of this land and of the whole world , each of you thinking that the entire burden is
on your shoulders.
Carry the light and the life of the Vedanta to every door , and rouse up the divinity that is hidden within
every soul. 

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by yogabeaware | 2011-02-26 07:28 | ヴィヴェーカーナンダ

沈黙を欲したあと

シュリ・ラーマクリシュナは弟子たちに語ります。
わが子よ。神は生きものすべてに宿っておいでになる。しかしお前たちは善い人びととだけ、親しくしたらよいのだ。悪い心の人びとは避けるようにしなければいけない。神はトラの中にもおいでになる。しかしそれだからといってトラを抱くわけにはいくまい。(笑い)お前たちは『トラもやはり神の表れなのに、どうして逃げなければならないのですか』と言うかもしれない。それに対する答えは、お前たちに逃げろと告げる人びともやはり神の現れ~なら、彼らの言うことはきくべきではないか』というものだ。

ひとつ話をきいておくれ。森の中に一人の聖者が住み、大勢の弟子を持っていた。ある日、彼は弟子たちに、すべての生きもののなかに神を見よ、そしてそれを知って、彼らすべての前に頭を下げよ、と教えた。一人の弟子が、犠牲供養の火のたきぎを集めに森に行った。突然、彼は『逃げろ!気違いゾウがくるぞ!』という叫び声をきいた。彼を除く全部は逃げた。彼は考えた、ゾウもやはり別の形で現れた神であると。それならなぜ逃げねばならないのか。彼はじっと立ち、動物の前に頭を下げてそれをたたえる歌をうたい始めた。ゾウ使いは『逃げろ!逃げろ!』と叫んでいた。しかし弟子は動かなかった。ゾウは彼を鼻でつかんでわきに投げ、行ってしまった。

傷ついて出血し、弟子は気を失ったまま地面に横たわっていた。事件をきいた師と兄弟弟子たちは、現場にやって来て彼をアシュラムに運んだ。薬の効き目で彼は間もなく意識をとり戻した。誰かが『君はゾウのくるのを知っていたんだろう?なぜ逃げなかったのか』とたずねた。『でも師が、神ご自身は人間ばかりでなく動物の姿にもなって現れているとおっしゃっただろう。だから、くるのはゾウ神さまだと思って逃げなかったのだ』と彼は言った。これを聞いて師は言った、『そうだ、わが子よ。ゾウ神さまがいらっしゃったというのは本当だ。しかし、ゾウ使い神さまがお前に、そこにいることを止めただろう。すべてのものが神の現れなのに、お前はどうしてゾウ使いの言葉を信用しなかったのだ。お前はゾウ使い神の言葉に耳を傾けるべきだったのだよ』と。(みんな笑う)

聖典に、水は神の一つの姿である、と書いてある。しかし、ある水は祭事に用いるのに適し、ある水は顔を洗うのによく、そしてある水は皿や汚れた布を洗うのにしか使えない。この最後の種類は、飲んだり祭事に使ったりすることはできない。同じように、神はたしかにすべての人~信心深くても不信心でも、正直でも、不正直でも~のハートに宿ってはおいでになるが、人は不信心な、邪悪な、不純な人とつき合ってはいけない。親しくしてはいけない。彼らのある者たちとは言葉ぐらいは交わしてもよいが、ある者たちとはそれもしてはいけない。そのような人びとからは遠ざかっているべきである。

前回のブログに、私はもっと黙っていなければならない、と書いた。
口も、心も、だ。
私が風に揺らめく炎だとしたら、その風を「なぎ」にしなければならないと感じた。
当時、はっきりとした目的はわからなく、だけど、「沈黙~Mouna」をしなければならないと感じた。
すべてが雑念、すべてが雑言に聞こえていた当時は、
げんに、おしゃべりをしたくもなく、友人と交わりたくもなく、ヨガの話も聞きたくなかった。
いらないとこは捨て、自分だけを、最もシンプルな自分を見つけたかった。
シンプルになるために沈黙することが必要だった。
静けさが必要だった。

でも、沈黙してても、やがて心が騒ぎだす。
あの人とあの人は何を楽しそうにしゃべっているのだろう?
ヨガの話かな?
なんかお得な話でもしているのかな?
乗り遅れてしまわないかな?
損してしまわないかな?
あっちはどうかな、こっちはどうかな、ワタシ、独りで、こんなカンジでいいのかな・・・

・・・こうして道を探りながら何かを求める者には「灯」が欲しいのだ。
冒頭のシュリ・ラーマクリシュナと弟子との会話は私に力を添えてくれたものだ。


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     

そんな時、インド・リシケシからスワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジが来日された。

ゆうこさんの招へいで、一か月以上に渡って、「AWARE ~ 気づきつづけること」をアーサナ、プラナヤマを通じて教えてくださった。

それは、わたしたちが詳細に、注意深く、かつ透明なまなざしで物事に気づき続けることで
その本質を理解できるというものだった。
だから、肉体や心やエネルギー、魂に気づき続ければ、その本質が自ずと見えてくるというものだった。
そしてそれは科学のように、実際に実践できるものであり、体験できることであるということを教えてくれた。
私はヴィスワルーパナンダ・ジの授業を通して「沈黙~Mouna」の重要性を体験した。
それが修行として確立されている理由に納得した。
気づきには観察者(自分)の静寂さが必要、彼の心が常に「なぎ」の状態でないと難しいということを発見した。
気づく、ということと、沈黙・静寂・空・無というものは常にセットなんだ!と発見した。

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       冒頭の引用は「ラーマクリシュナの福音」11Pより。      写真はシュリ・ラーマクリシュナのサマーディ。

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by yogabeaware | 2011-02-25 00:57 | ラーマクリシュナ

沈黙を欲したとき

ヨガをやってる人にもいろんな人がいる。。。



2年前、南インド・ケララ州 ネヤーダムにあるシヴァナンダ・アシュラム(International Sivananda Yoga Vedanta Centre)
で約一カ月過ごした。
ハタヨーガの指導者資格取得のため、インドのアシュラムを体験したいため・・・

100人近くの世界各国から集まった老若男女、6時から9時までの濃密なスケジュール!!
ただ没頭して対処することしかできなかった。
没頭して生きることしかできなかった。
そんな、前半を夢中で乗り越えて、
後半、
・・・、
後半、
周りを見渡す余裕が出てきたとたん、だった・・・!
あっという間に私は周りのエネルギーに呑みこまれてしまった!
周囲が急速に拡大していき、私は縮んでいく。
「ヨガ」という大項目の下、いろんな人がいろんなことをしていた。
前半に居た「無色透明の私」
それはあっという間にどこかにいった。
ヨガの本場インドのこのアシュラム!
そのアシュラムに堂々と居たはずの「私」!
それは今はまるでおびえてしまった。
見た目はどうでも、心は周囲の混沌におびえた小動物のようだった。
草かげに隠れて目玉をきょろきょろさせてた。
そこで生きるために必要と思われる種類の「エゴ」を盾に・・・
だけどその「エゴ」がまた、
苦しくて、私は目をふさぎたい、耳をふさぎたい、口をふさぎたい。
静寂が痛烈に恋しかった。。。
私の居場所はここじゃないと感じた。。。

害した健康もそのまま、私はなんだか黄色くなって帰ってきた。
迎えただんなさんは、どこの発展途上の国から来た貧相なひとだろうと思った。



日本でもおんなじだった、ヨガをしている人にもいろんな人がいる。。。

いわゆる「良いひと」、いわゆる「悪口を言わない」、いわゆる「他人にゆずる、奉仕する」etc
・・・
って、、
ヨガをする人たちだからと言って、
みんながみんな、そんな徳にたけた人たちばかりであるはずがないじゃないかーっ!!!
私はなに、周りに、外に期待してたんだろう。。。
ああ、がっかりだ。。。
周りにも自分にもがっかりだ。。。

周りや外は、自分の期待の的からそれる時期が必ず来るものなんだ。
移ろうものなんだ。
必ず期待はずれの時が来る。
信頼をおくには十分じゃない。
私は信頼できるものを探したいんだ。
全身全霊を安心してゆだねれられるものを探したい。

MOUNA ~ 沈黙 

身体が、心が、魂が、それを探すには Mouna が必要だと欲しているようだった。
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by yogabeaware | 2011-02-24 08:54 | じぶんをみつける

「キールタンの会」 ~ 感想集

● 抱一先生より 
今日キールタンを歌った後、インドの僧院にいるときと全く同一の神聖さに満たされました。
企画有難う、これからも継続しましょう。



● ともこさんより
先日のスートラの会の後のキールタンは素敵な時間でしたね。
ミワコさんご誘導のジャヤガネーシャはとても楽しかったです。
シヴァーナンダアーシュラムでは聞きませんが、途中からの切り替えがとても浄化になりました。
気持ちよかった。
それがお伝えしたくメールしました。

また、第2.第4水曜日の午後13-15に狛江駅のカレーショップでキールタン練習会をしていますので、
よろしかったら一度教えにきてください。(といってもまだ2人でやっているんですが)
明日もします。
お忙しくそんな昼間にいらっしゃれないのを承知で、でもすてきだったので、またいつか共鳴したいものです。



● miwakoより
キールタンが終わった直後から偉大なエネルギーに圧倒され続けています。。。
神さまはマハー・シャクティだ!




● ゆみさんより 何かおりてきたようだった。。
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by yogabeaware | 2011-02-23 00:25 | ヨガクラスの内容

謙虚さとおごり

今の時代、人間が神になろうとしてはいないだろうか。すべてをコントロールしようとしてはいないだろうか。
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      謙虚さとはクリシュナのために大胆なことをすること


       (A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ)
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by yogabeaware | 2011-02-18 07:54 | ヨガ的な生き方

Hare Krsna

クリシュナの肌がなぜ黒いのか、または青黒いのか

私はクリシュナから直接ききたい

クルクシェートラの戦場でのクリシュナではなく、

いまそこにいるクリシュナに会いたい
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by yogabeaware | 2011-02-17 22:44 | あい

ことばの幻惑

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批評は残酷な行為だ。


言葉の世界は限られてるというのに
それは生きもののように襲ってくる。
手なずけるなんて不可能だ。


私たちは言葉に対してもっともっと注意深くならないといけない。


「思いと言葉と行為の完全な一致」 とは シヴァナンダ先生のことば

「思いとことばとおこないにおける完全なる純潔」 とは スワミ・ヴィヴェーカーナンダのことば

「精神世界では自分の思いと行動は同じ意味をもつ」 とは シュタイナーのことば
drop of water

言葉にも、日常のふるまいにも、感情にも、慎重さが大切、注意深さが大切とは西川隆範先生のことば

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by yogabeaware | 2011-02-15 21:05 | しょうじき

残酷さへの気づき 2  

      
   「思いとことばとおこないにおける完全なる清らかさ」 
 
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by yogabeaware | 2011-02-12 21:39 | ヴィヴェーカーナンダ

残酷さへの気づき 1

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批評する行為・・・
自分の立場・考えをしっかりと理解しているひとの、賢い行為だと思っていた。
自分の芯を持てているような気がして、憧れた。
若者の頃は、その術を身につけたくて、わからないまま小林秀雄など読んだりした。
で、自分で自分をアタマ良さげに感じたりした。
テレビのコメンテーターという人たちがかっこよく見えたりした。


だけど最近ひどく残酷に感じてる

批評する行為というものを

誰でも彼でもが批評家になれる、今の社会

誰でも彼でもが身近な人を、すべての芸術を、遠くの時事問題を、想像して、批評している

だけどそんなのなんだか辛い

なんか聞きたくない

残酷だ

残酷だよ

ああ、彼らのいったい何がわかるというのだろう

いったい何が?

いったい何をもってそんなに確信めいて言うのだろう

ああ、彼らにはいろんなものがつながっているんだ

そんな、つながるいろんなものまで傷つけて

そのつい出てしまうその言葉で

正しいことを言っている、というその思いの力で

傷つける

やいばは連鎖する

その連鎖がまたひどく残酷なのだ

なぜ?

なぜ、あんなに賢いのにそこまで考えが及ばないのか

あなたの力が空間を伝わってもっともっと傷つけることになるかもしれないということまで

なぜ思いもよらない



思いもよらない

そうなんだ

私もそうであるように

誰しもそんな、自分が何かを傷つけるなんて、思いもよらないのだ

それが残酷だ

ただ残酷だとしか言えない

これは、

そういうことなんだ
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by yogabeaware | 2011-02-12 18:55 | じぶんをみつける

MY 体験談

ひとにイライラするときは自分にイライラしている

みすぼらしい思いは自分を自分の容姿をみすぼらしくする


                                  ( miwako のつぶやき )
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by yogabeaware | 2011-02-09 22:59