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サチャ・デヴァダス氏からのメール

Hare Krsna!


Miwako san,


I am so happy to receive your email. I miss being with you at the Thursday night Bhagavad Gita class. I am glad to know that you are still attending every Thursday and that Madhu is giving the class.


Yes, Krsna wants us to trust Him. This is His final instruction to Arjuna near the end of the BG. 18.66


The opposite of trust is fear. Trusting Krsna means giving up our fear. Krsna is not asking us to trust him blindly. He is not asking us to have blind faith. No! We can learn to trust Krsna. How? By our own direct experience we can see that Krsna is the most reliable.


We can have this direct experience by keeping our awareness present in each moment. How do we keep our awareness present in each moment? By letting go of thinking about the past or future and noticing our direct experience of each moment. Then we directly experience that we are alive and exist. Such as when we listen to the silence behind the sound, we naturally notice there is awareness of hearing. The awareness is not another thought. No, the awareness exists before the thought, during the thought and after the thought. Awareness is our true self.


Awareness is always present and never changes, therefore we can trust it. Where does awareness come from? Awareness comes from the supreme source of everything, Krsna!
Our life comes from Krsna. Therefore we can trust Krsna because He is the most reliable.


Attached you will find a short essay i recently wrote about trust and surrender. I hope you enjoy it.


I am looking forward to seeing you in April. Please write to me whenever you feel like it.


with affection,
satyadeva das
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by yogabeaware | 2011-01-30 10:19 | あい

ゆうこさんとのメール

みわこさま

こんばんは。寒くなりましたが、陽射しが12月に比べて明るくなった気がします。

みわこさんのブログは正直でとても好感が持てます。
今、私が感じるヨーガ界はやはり、身体・・・フィジカルが中心です。
それはそれでいいけれど、体が柔らかくなっても精神的に自由かというとそうではない。

だから、「気付く」「意識化する」ことを、もっと主張(変な言い方ですが)してもいいと思うのです。
わたしも、自分が始めたクラスのご案内にはそれを強調しました。

そもそも、今頃になってヨーガを教えようと思ったのは・・・。
昨年の秋、M先生のヨーガ教室の合宿に参加したのですが。
M先生に「スワミ・ヴィシュワルーパナンダの教えをわかり易く、レクチャーしてみない?」と言われたのです。
そして、先生と何回かメールでやり取りしてレクチャーのレジュメが出来上がりました。
当日は30分の枠と聞いてたのに2時間近くあって、ほとんどが初対面の方たちの前で講義をしました。
ヴェーダンータと、仏教の「気付き」がミックスしたヴィシュワルーパナンダの教えを、
私なりに消化したレクチャーです。

ヴィシュワルーパナンダを日本に招きたいと思ったのは、「気付き」のヨーガを知って欲しかったからです。
スワミジを日本に招へい(インド人は自由に外国には行けないのです)するのは・・・
やはり思った以上に様々なことが起きました。かなりへこみました。
でも、こんな講義が出来たのも、スワミジとの出会いがあったからか。
そして、少しは水面に投石が出来たのかな?

昨秋、シバナンダ・アシュラムに一人滞在できたのも、M先生のおかげです。
その時、既に知り合いのアドヴァイタナンダ・ジというスワミジに、5日間ダルシャンをしていただきました。
ダルシャンとは、1対1で質疑応答をするものです。
そのあるとき、スワミジは「ヨーガを教えることは、貴女の魂の浄化になり、
教えられた人には沢山のメリットがあるから、是非続けなさい。双方に良いことですよ。」
と言われたのです。
その言葉は頭で理解したのではなく、意識の深いところにその飛び込んできたのです。
また、このスワミジから沈黙の重要さを学びました。

ヨーガは5000年以上続いている。
それを教えるというより、わたしは自分をとおして伝達したり見せてみたりするだけです。
そのヨーガの素晴らしさを、伝えていきましょう。
添付はよかったら見てみて下さい。わたしの教室の案内です。

                                        ゆう子


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     

ゆうこさん

拝見しました。

機が熟したのですね。

ヨーガのさまざまなスワミジや先生が、「教える」ということを勧めますね。
ヨーガの伝達はよほど魂を浄化してくれるのでしょう・・・

いろいろなことが起こりますが、起こることを起こらせるというのも
ヨーガの気づきの訓練の一つかと思って、
今は毎日を送っています。

ようこさんにも色々な出逢いがあったのですね。
ダルシャンで学ばれた「沈黙」とは何だったのですか?

気づきのヨーガを教えている方との情報交換は、
本当に刺激になります。
私もますます頑張ろうと思います。
どうぞよろしくおねがいします。                     (みわこ)



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


みわこさん

みわこさんの返信の「起こることを起こらせる・・・」に、とても励まされました。
その通りだと思います。大切なことを忘れていた気持ちです。

ダルシャンで、アドヴァイタナンダ・ジがおっしゃた「沈黙」は、ごく当たり前のことだったのでしょうけれど。
とかくしゃべりがちな私には、「なるほど」・・・またもや深いところに投げ込まれた言葉=教えです。
スワミジは、実は「サティヤ=真実を語りなさい」と言うことをしきりに言っておられました。
そこで、私は「真実を語りその結果、トラブルもしくは相手を傷つけることになったらどうすればいいのですか?」
と聞いたのです。その答えが「沈黙」でした。
こんな簡単なことが、自分には出来ていないのです。
帰国して、「真実を語ること」と「沈黙する」ことを考えるようになったのです。
とかく、考えてるようで実は無意識に行ってる行為・・・。
意識化してみると、何かが変化する。
帰国して、抱一先生の瞑想が「アンタル・モウナ」(内なる沈黙)だったのは何か、共時的です。

シバナンダ・アシュラムでも、モウナ=沈黙・・・ほとんどしゃべることがなくて、素晴らしい時間をすごしました。
欧米から来ていた女性は皆一人での滞在で、とても物静かな方ばかりでした。
仲良くなった、レバノンの女性リーマに「貴女はヨーガを教えてるの?」と尋ねると、
「私はいつも生徒です」と言ったのです。リーマの問いに「時々ヨーガの先生」と答えた自分が恥ずかしくなりました。
教えていても、いつも生徒ですものね。

明日のヨーガスートラ、Yさんが参加されるのですね。
出会いの不思議です。
                                 ゆう子


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


ゆうこさん、
このたびの返信のメールに、全く同感です。

モウナ(沈黙)はスピリチュアルな意識を高めることに大変有効だと、
自分もモウナを心がけてみて、感じました。

マザーテレサは「言葉が多すぎます」と言って亡くなったと
先ほど知ったのですが、この世の中、この世で触れ合う人、
ほんとうに言葉が多すぎると思う。

アドヴァイタナンダ・ジがおっしゃるとおり、
真実の言葉だけを語って生きていきたい。
そして、みんながそう出来たらどんなに美しい世界になるだろうと思います。

「起こることを起こらせる」というのも、モウナのひとつなのではないかと感じます。
スワミ・ヴィヴェーカナンダの『カルマ・ヨーガ』を読んでいたらこんな一節がありました。

「カルマ・ヨギは最高の理想は無抵抗である、ということを理解している人です。
そしてまた、この無抵抗は実際に持っている力の最高の表現である、ということを、
そしてまた、悪への抵抗というのは、この最高の力の表現、すなわち無抵抗に向かう道の、
一段階にすぎないのだ、ということを知っている人です。」(35 P)

アーサナは「起こることを起こらせている」動き・・・
あんな感じですべての時間を生きていけたら、と思います。       (みわこ)


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


みわこさん

みわこさんの「起こること・・・」を読んで、間もなく・・・、
私の始めたクラスの開始でした。
その言葉がよみがえり、スワミ・ヴィシュワルーパナンダがいつも「ポーズはあなたがしているのではない、
起こっている」と言っていたことを思い出しました。そう、アーサナは自分がやっているのではなく、「起きている」。
参加してくださった生徒さんにそれを伝えていこう、と思いました。
そういうやり方は何か不思議らしい・・・。
反響がありました

明日は大寒。寒さを楽しむ気持ちがあると、嬉しい毎日・・・。

                                        ゆう子


スワミ・ヴィヴェーカナンダは現代の教育についてこう述べている。
「背後になんの実質もない、永遠の無意味な長談義を信じよということにすぎない」
「彼らはことばをたべて生きよ、ともとめられているのです。」(『ラージャ・ヨーガ』18P)


                           
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by yogabeaware | 2011-01-22 23:00 | 日々。。

酔うのは神への愛だけ

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自分に酔っぱらってはいけない


酔うのは神への愛だけ
         


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


今日の瞑想の初めに、
「シヴァ神様、私はまだグルに出会ってないけれども、どうぞ、そんな私を守ってください。導いてください。」
とお願いをした。
今日は一人で瞑想している気分ではなかった。
なんだかハートの後ろに誰かいる、そんな気がした。

神様はわたしたちの避難所です、とラーマクリシュナは言う。
ああ、神様はどんなに慈悲深いことか!
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by yogabeaware | 2011-01-22 22:14 | ラーマクリシュナ

正直なひと

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正直なひとと会うと、

会話が清水のように流れる。

老廃物が出てゆくよう。

美しく透き通った上澄の気分。

正直なひとと会ったあとは、

すっきりした視界。

英気が増す。
小林孝亘 Bort ( river )    

もし、あなたが誰かと会ったあとすっきりした気分でないのなら、
あなたは(自分が知っても知らなくても)うそをついている。 
   
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by yogabeaware | 2011-01-19 23:27 | しょうじき

ある日のジャパ瞑想

ジャパをしてたら

途中から自然にあなたの名前を唱えていました

わたしは

いつでも

ただ

うっとりとしていたい

あなたのように

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写真はインド・ベルルマト寺院のシュリ・ラーマクリシュナ像
ジャパとはインドで古代から大切にされてきたサンスクリット語による聖音の復唱

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by yogabeaware | 2011-01-17 08:45 | ラーマクリシュナ

ヨガ・スイッチ ~ ヨガを続けていこう

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やあーっぱり、
まだまあだ、
ヨガスイッチが入ってるときと入ってない時があるんだよなあ・・・!


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
     


頭でそれが正しいとわかっていてもやらない、
正しいことを言っていても行動が違う、
感情の波につい押し流されてしまう、
嫌なことと自分の間に境界線を引いてしまう、
見ないようにしてしまう、


だんなさんにそんなことが起こったとき、私は隣で道徳的で、正しいことをしゃべってる。
ヨガを勉強してるもんだから、
心の中で「それはギーターや聖典でも説かれていることだ」と、
自分のしゃべりが正しいと信じて話している。


だが、感情の波に押し流されているときは誰しもなんにも受け入れられないし、
それがおさまって私の言うことに納得したとしても、
それを心の底から受け入れられなきゃ、
行動を変えることはできない。


私もだんなさんと変わらない、人生の修行者、
何を賢者ぶってるんだろうと、
いつもこんなやり取りの後には
自分自身にがっかりしていた。


数日前も、またおんなじようなやり取りがあった。


そのあと、無性にさみしくなった。


こんなさみしさは近頃感じたことない。


なんだろう、このさみしさ・・・


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


・・・多分、やり取りの最中から、・・・
私の生き方がヨガ的ではなくなってしまったからでは・・・?
ヨーガの神様と繋がれなくなった、
神様がどっかに行ってしまったからでは・・・?
そう、多分、
文字的には、言葉的には、正しいことを言っているのに、
行為はヨガ的ではなくなってしまったのだ。
言葉と行為の不一致。
ヨガのスイッチがOFFになった。
灯りが消えた。
あったみが消えた。
Harmonious なフィーリングがなくなって
さみしくなった。。。


たぶん、そう。


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    
  

私は思った。
自分はきっと、日常のどんなときでもヨガ的でいたいんだ。
アーサナ以外の時も、瞑想以外の時も、
悲喜こもごもの日常のどんな時でもヨーガ的でいたいんだ。
それも痛切に。
もう、そうじゃない方が辛くなったんだ。
常にヨガのスイッチを入れとかないと自分ではなくなってしまうさみしさを感じるようになったんだ。


アーサナを実践する以外の時間も、アーサナの時の気持ちよさを感じられるようになりたいと
かながね願ってきたけれども、それは遠い先の事と思っていた。
こんなエゴのがんじがらめで、そうする術もわからなかったし・・・


でもヨガの訓練、気づきの訓練を続けていけば、それが出来るようになるんだ・・・
それも、とても自然に。


やっぱりヨガは偉大だ。
それを信じて続けていくことが大事だ。
ヨガを続けていくことはなんと素晴らしいことか!



写真は、南インドのシヴァナンダ・アシュラムの玄関門と守衛さん

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by yogabeaware | 2011-01-13 23:40 | 日々。。