「ほっ」と。キャンペーン

<   2010年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ありきたりの、でも素晴らしい

クロード・モネ
積みわら(日没)1891年

e0200565_20573770.jpg


ありきたりの

でも素晴らしい夕景

その一瞬に

気付き

ゆだねて

楽しんで
[PR]

by yogabeaware | 2010-12-20 21:00 | あるがまま

世間での務めについて

神への愛が深まるにつれて、お前の世間の務めはひとりでに減っていくだろう。
そして、お前もそれらへの興味を失うだろう。
いちど、氷砂糖でつくった飲み物を味わった人が、普通の糖蜜でできた飲み物をうまいと思うかね

(シュリー・ラーマクリシュナ ~シュリ・ラーマクリシュナの福音~ 439頁)
e0200565_9321633.jpg

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-18 09:31 | ラーマクリシュナ

正直 IS SIMPLE

正直 IS SIMPLE

正直にストーリーはない

ストーリーがある

などという

あいまいなものではない

そうか、

そうでないか、だ

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-17 22:18 | しょうじき

先生に語らせているのは誰

抱一先生が語っているのではない

抱一先生の背後にひそむ

「大いなる存在」が語っているんだ

わたしは先生の背後に居る「大いなる存在」に耳を傾けながら

動いていく、

アーサナをする、

自動的に、

自然発生的に・・・

ただ言葉だけを追っていると

いいとか悪いとか好きとか嫌いとか

そんな二元性の世界にはまってしまう

私はそんな世界にもういたくない

それを超えた世界にいきたい

それを超えた世界で「大いなる存在」とつながっていたい

いつも「大いなる存在」とつながっていたい

Spontaneous にヨガアーサナをしたい

Spontaneous に生きたい

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-17 22:01 | しぜんにおこる

spontaneous シリーズ ④ ~ Spontaneous と Automatic の差異を知る方法


automatic   オートマティック (自動的) に生きると

疲れる、
だるい、
生きてる感じがしない、
人とギクシャク、
呼吸があわない、
拘束された気分、
何かに追われてるような、
人と競争してるような、
人を線引きするような、
自信がない、
自分の100%の力を知らない・出せない、
いつも楽しいことを探している、
それが終わるとさみしくなる
しあわせを楽しむより探すことに懸命だ、
マヒしている、
結局すべてははかなく終わりがあると感じている、
食べてるときがしあわせ、
食べてるときだけしあわせ・・・


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


spontaneous  スポーンテーニァス (自然発生的) に生きると

FROWする、
すべてが流れる、
液体のように、
動きも、コトバも、判断も、すべてがとどまらない、
流れていく、
だから起こっているひとつひとつの事象が気にならない、
いつも今、
BE IN NOW
悪いことが起こっても、辛いことが起こっても、悲しいことが起こっても、
うれしいこと・しあわせなことでさえ気にならない、
気に留まらない、
流れていく、
なんだか神様がすべてを起こし、わたしはあやつり人形のようだ、
私は気分良くゆだねている、
いい感じ、
NICE FEELING・・・


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


spontaneous と automatic

辞書で引けば、おんなじような意味の言葉

。。。。。  

気づこう。

その微妙な差異に気づこう。

日常でもヨガ・アサナのときも、いつも気づいていよう。

はっきりと、

明せきに、

なんのジャッジも入れぬ、

透明な視線で、

それぞれの本質に気づいていこう。

そうした気づきの訓練の先に
まるで自分の源から溢れ出るような
行為・態度・フィーリング
spontaneousな生き方が待っている。

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-13 23:21 | Spontaneous に気づく ①~④

spontaneous シリーズ ③ ~ Spontaneous に生きるって?

automatic については spontaneous シリーズ ② ~ Automatic に生きるって? に書いた。

そのゆだねる先はエゴで、

わたしたちは無知で、

オートマティックにエゴに主導権をとられて生きている。

 
        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


「エゴのうた」

自分が心・エゴの道具になってはならない

自分を道具にすると、人も道具にしてしまう、自動的に…

人はそれに違和感覚え、ギクシャクが生じる


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    
  

spontaneous  スポーンテーニァス 
はそれとはまったく異質だ。

わたしのゆだねる先は
自分の心やエゴなんて小さいものじゃない。

それらのもっと親玉のような、

自分が生まれた理由を知っているほどの、

自分の奥の叡智とつながっているような

BIG I (ビッグ・アイ)、ほんとうの自分。



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    
  


それはオートマティカリーな自分をリラックスさせたときに感じ始める。

つまりエゴをゆるめたときに感じ始める。

私が空(くう)になったときに感じ始める。


気づけば、

いつも何を行為しているのか、

何を考えているのか、

いつも自分を詳細に、

クールに気づけば、

自然に自分が空なる感覚はやってくる。


こうしてエゴをゆるめる楽ちんさにゆだねていくと、

エゴをゆるめた先の 「BIG I」「大いなる存在」が在ることを発見する。

それが人生の主人公なんだって発見する。

開眼する。



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 

    
  

spontaneous とはまるで自分がいないかのように生きること。

どうか恐がらずに、

自分を「空(くう)」にしたら、

この瞬間瞬間を、

どのように動くのか、動かすのか、生きるのか

自然に知ることができる

大いなる存在が自然に動かしてくれる

それを YOGA と言い、

spontaneous と言うよ。

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-13 11:20 | Spontaneous に気づく ①~④

spontaneous シリーズ ② ~ Automatic に生きるって?

・ spontaneous スポーンテニァス [形容詞] (現象が)自然に起こる,自然発生的な

・ automatic オートマティック [形容詞] 1 〈機器などが〉自動(式)の  automatic control 自動制御.2 〈行動などが)無意識の,機械的な,反射的な,習慣的な;(感情などが〉自然に湧き出る)


Spontaneous については先日 spontaneous と 「いま・ここ」に書いた。

では 、似たような意味の言葉、
spontaneous と automatic との違いはなんでしょう・・・?


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


寝て起きて身支度して食べて飲んで呼吸をして心臓が鼓動して怒って笑って泣いて驚いて・・・

わたしたちのこの毎日はごく自然に自動的に起こっているようだ。。

でもちょっと考えてみて?

ほんとうにそうだろうか?

 
・わたしたち現代人はより浅い呼吸になっている。
 
・混雑した朝の駅、人にぶつかられただけで、心が、身体がこわばる。


これらは、わたしたち「日常」のごく自然な結果。

だが果たして、これらはいったい「自然」???

なんだろうか???


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      


もういちどよく考えてみたい。

もっと明せきに精密に行為をたどってみると・・・

ふーむ、

自然な行為・・・

というよりも、嫌なものだとか、ストレスだという「判断行為」ではないだろうか?

自然と言うよりも、

「判断」という行動を、

わたしたちは超速球のオートマティカリーにとっているのではないだろうか?

そうなのだ

本人が判断していることさえわからない、

目にもとまらぬスピードで!


        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
      



ところで、「判断」には「判断する人」がいるハズ。

ぶつかってなぜ謝らないんだと、判断しているのは何だ?

一体、

それは、自分???

ここで、もっと精密に考えてみよう。落ち着いて・・・

フム・・・

ジャッジしているのは、自分・・・というより

自分がいちいち指令を出している、というより

心・エゴが勝手に判断している感覚ではないだろうか?



        ☆       ☆       ☆       ☆       ☆ 
    

  

わたしたちはあまりにもオートマティックに生きすぎてる。
瞬間瞬間の判断を、なにがしてるかなんて、感じる暇もない。
あまりにも、心・エゴのジャッジが素早すぎて。
あまりにも、心・エゴの動きがオートマティックすぎて。
それすぎてわたしにはそれらの姿はほとんど見えない。
見えないから、自分で自分が何をしているのか、行動の本質が理解できない。
いわゆる「無意識」に生きてる。
表向きは意識的だがほんとは無意識。
表向きではわたしが主人と思いきや、
内実は心・エゴにその座を奪われている。
わたしは心・エゴに従属し奴隷になっている。


・・・こうしてわたしたちは心にエゴに、二重、三重のわなを仕掛けられ、騙される。

わたしたちがまるで機械のように、

どの瞬間も自動的にエゴの道具になっている様子、

それを automatic と言う。

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-13 10:44 | Spontaneous に気づく ①~④

いいことも悪いことも同じようにトゲである

e0200565_1281284.jpg

(当時の日記)


気持ちいいことに執着しはじめている自分

そこから

進歩しない自分

感じてた







          ☆          ☆          ☆          ☆          ☆ 
      


身体を動かすヨガをやってきて、

正直に「気持ちがいい~」

ということがヨガを続ける原動力だった。

そこに、

Be Aware =「観察し続ける」「気づき続ける」という行為が入るんだよ、ということは後で知った。

確かに、アーサナをしているときに「自分は伸びないなあ」「できないなあ」

などの negative feeling が発生した時、

深呼吸して、

考えず、ジャッジせず、ただただ見続け観察してると、

negative が溶けていってなくなる感覚がある。

そうすると心にバランスがとれて、安定する。

SHANTIH。。。

だが、ムムム?

だけど、

むむむ?

ポジティブな時、

気持ちよい時、心地よい時、しあわせな時にも、

その喜びに包まれるのではなく、

ただ観察し、気づき続けるのー???

せっかくのしあわせなフィーリング、半減しそうじゃん・・・


          ☆          ☆          ☆          ☆          ☆ 
      


この夏にインド・リシケシからスワミ・ヴィスワルーパナンダ・ジが来日されたが、
アーサナでも呼吸法でも寝ていても(!)
常に対象物を見ている自分に気づき続けることを言っていた。
対象物に巻き込まれているから束縛されるのだ、
ほんとうの自分はいつも対象物から離れて見ている、解放されて自由な Pure Conciouness なのだ、と。


自分の疑問をスワミジに聞いてみようと思ったが、聞かなかった。
自分の疑問の答えはほんとうはわかっていた。
「ポジティブもネガティブもすべてのことを気づくのだ」ということ。。
そうすべきなのはわかっていたけど実践するのがイヤだった。
私はもうすでに気持ちいいことに執着しはじめていたから。
「あの、気持ちいい体験」をもう一度、もう何回でもしたいと思っていたから。


スワミジが来日して、20回ほどレッスンを受けて、
、、、
やってみた、
気持ちいいことやしあわせなことにも気づき、観察すること。。



          ☆          ☆          ☆          ☆          ☆ 
      


「無」であるかのような静寂と・・・
しあわせにも酔わない不動性・・・が、きた。
それは今まであんなに手放せなかったしあわせや気持ちよさとは
レベルの違う、より包括的と言ったらいい?
よりwholeな、よりトータルなしあわせ
。。


          ☆          ☆          ☆          ☆          ☆ 
      


スワミ・ヴィヴェーカナンダの言葉。


ここに困難があります。
解脱とは完全な自由のこと、つまり、悪の束縛から解放されると同時に、善の束縛からも解放されることなのです。
黄金の鎖も鉄の鎖と同様に鎖です。
私の手の指にとげがささったとします。私はもう一本のとげを持って来て、それでとります。とれたら、とげは二本とも捨てるでしょう。第二のとげをとっておく必要はありません。結局どちらもとげなのです。
そのように、悪い傾向は善い傾向によって中和されるべきであり、心に刻まれた悪い印象は、ほとんど消えてしまうか、または弱められて心の片すみに小さくなるまで、善い印象の波によって除かれなければなりません。
しかしそのあとで、善い傾向もまた、征服されなければならないのです。
このようにして「執着している人びと」が「無執着の人びと」となるのです。

(『カルマ・ヨーガ』69P)

                よいしょっと。  om の象に乗る。  写真は南インドでの象乗りツアー

[PR]

by yogabeaware | 2010-12-06 01:00 | みる