カテゴリ:ヨガ哲学( 13 )

ハ・タ・ヨガとは ⑪ ~ 「気づき」 について④

ヨガの哲学では 「心」 の活動や、その成り立ちの解明が大きなテーマです。
心は単純なものではありませんよね。
プラスのエネルギー、マイナスのエネルギー、陰と陽、あっちいったりこっちいったり、
ひとことでは言い表せない、ほんと、始末に負えない奇奇怪怪なヤツです。

ですのでここでは簡単に心という住居に2人の住人がいると考えましょうか。
それは 「エゴ」氏。・・・「わたし」視線で物事を見る人。
そして 「エゴ不在」氏。・・・「わたし」が抜けてる人。

ヨガで必要なのは
「わたし」 をどっかにやっちゃうこと
「わたし」 がどうでもよくなること
★「わたし」 がいなくなったときに 「気づき」 がやってきます

「自らを照らすランプになりなさい」 
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                                              ( by おしゃかさま )


私がいない、心の住人が見る目はものすごくストレートだ
ありのまま・本質を見てる
物事の本質を知った自分に気が付いた時
ほんとうの自立がやってくる
★「気づき」 は 「自立」 につながる
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by yogabeaware | 2012-05-20 17:05 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑩ ~ 「気づき」 について③

ティク・ナット・ハン(釈一行)は、ヴェトナム戦争のさなか、僧院の中で修行を続けるべきか、それとも僧院を出て爆撃に苦しむ人々のために行動すべきか考えた末、その両方を行うことを決意し、いわゆる「行動する仏教」を実践、被災者、難民の救済をつくした。1966年にフランスに亡命を余儀なくされ、現在、難民の孤児たちをみずからの子供として育て、農園を営み、生活と一体となった瞑想を実践している。
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 平和とは 「気づき」 (MINDFULLNESS) を実践すること、すなわち自分の考えと、行動と、その行動の結果をきちんと意識することです。気づきは単純なようでいて、とても意味の深いものです。・・・

 ・・・気づきの実践とは、毎日の一瞬一瞬を意識しながら生きることであり、それは一つのれっきとした手法です。・・・車を運転しながらでも家事をしながらでも、いつでも実践できることです。気づきを実践しながら運転すれば、車の中での時間が喜びに満ちたものになると同時に、事故を避ける助けにもなります。・・・その時間をしっかりと生きるべきです。気づきながら生きることを実践すれば、毎日の生活に平和が芽生えます。


・・・気づきは幸福の基盤です。・・・個人の幸福は世界の平和を実現するための基盤です。

 気づきとは、自分が何を考え、何をしているかを立ち止まって認識することです。自分の思考や言葉や行動に自覚的であればある程、集中力が養われます。集中力があれば、自分の苦しみや他人の苦しみの本質が見抜けます。その洞察から、周りと調和して安らかに生きるためには何をすればよいか、何をしてはいけないかがわかります。
      (  『CREATING TRUE PEACE ~あなたに平和が訪れる禅的生活のすすめ~ 』 11,12,28p )

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by yogabeaware | 2012-05-19 18:16 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑨ ~ 「気づき」 について①

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インドのヨガスクールの総長だったサッティヤーナンダ師
「AWARENESS = 気づき」 無しに、アーサナ、呼吸法、瞑想が行われるとしたら
その効果の90%はうしなわれてしまう、と言ってる。



「わたしは〇〇をしている」 という行為への気づきと
「わたしは〇〇をしている」 という行為を見ている(目撃している)ことへの気づき
それらが同時に行われていること
これが、彼の  「AWARENESS = 気づき」 の定義  (『Yoga and Kriya』 91p)




                      
                アーサナをしてカラダを観察していると
                カラダから離れて見ている事実に気づきます。
                あ、いま、自分のカラダを客観視して見てる。
                あ、カラダとは違う別の存在がいてる。
                あ、日常と違う感覚!
                と、
                アーサナを「見てる」「自分」「存在」を見つけます

                そのとき
                深い平静さを感じるのです
                やすらぎ、落ち着き、バランスや 
                心の波に揺さぶられていた自分からの
                解放感
                自由感
                光
                くつろぎ
                満足感
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 ハ・タ・ヨガの教典 「ハタヨーガ・プラディピカ ~ ハタヨーガの光明」 ・・・ 「プラディピカ」 とは「自己を照らすこと 照らすもの」 

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by yogabeaware | 2012-05-16 17:39 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑧ ~ 「気づき」 について①

と、今まで見てきたように身体の各部を観察しながら自立させていくと、ふと気づくのは
カラダから離れて見ている自分の目線。
カラダを客観視しているそんな意識。
意識がカラダから幽体離脱しているように平静に静かにその部位をながめています。


それが気づき
いしきの光


カラダを観察することにより止む心のおしゃべり。
静かにおだやかになった観察者は
まるで澄みきった光を照射しているよう!

透明ないしきの光でにカラダを照らし、カラダ以上の真理を見つけていくのです。
カラダの本質に気づき、それを支えているモノ、成り立たせているモノを理解し、やがてその先に、
カラダの奥に潜む 「生(せい)」 の科学 、 「生」 の法則 を垣間見ていくのです。
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by yogabeaware | 2012-05-16 16:32 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑦ ~ 「自立」について⑤

先日の、草薙剛が主演の新米医師のドラマは、主人公が医者の 「役割」 とは何かについて悩む・・・
という物語だった。
もっちろんドラマだから、悩みながらもカッコ良く、主人公独自の 「役割」 を見つけてゆくんだけども。
彼の演技にはいつでも、瞑想のムードを感じて好きなんだけども。

その、
自分の役割・・・
って考えてみたこと、ある?
家庭での、仲間での、会社での、社会での、
いやもっと大きい意味での役割を、追求、してみたことってある?

わたしは
小さい頃から、生まれてきた意味は何だろう・・・ってギモンだった。
この生を与えられた、このわたしの役割って何だろう・・・って
何を、一生かけて実現していけばいいんだろう・・・って
「一生変わらない、 何か ~ SOMETIHNG」 を
一生かけて追及出来たら、実現できたら・・・
それが生まれた意味なんじゃないかなと、思ってきた。
わたしの役割・・・
わたしの天命・・・


DHARMA (ダルマ)

「DHRI (ドゥリ)=保つ」 に語源を持つという、サンスクリット語の 「DHARMA」 。
自らを保つもの、自分を自分としてあらしめるもの、自分が因(よ)って立つもの。
一言でいえば

天命

役割

です

「自立する」 ことの大切さを書いてきたつもりの 「ハ・タ・ヨガとは」
その  に 「カラダが自立すると精神も自立する」 と書きました。
ワタシの「見える部分」=カラダが機能しないと、ワタシの「見えない部分」=精神が機能しないのです。

↓↓↓
だから、脚に、足の裏に、足首に、膝に、腰に、おなかに、胸に、背中に、方に、手に、首に、頭に・・・
・・・彼らに聞いてください。

↓↓↓
まずはゆっくりそこに意識を持っていって。
次に確実にそこを意識で捉えて。
意識の光で照射して。
そしてもっと詳細に感ずるため、他の部分はリラックスして。
不必要な力は抜いて。

↓↓↓
立ってるなら足の裏全体で床を押し踏んでみて。
足の裏の役割を感じながら重心のバランスを感じて。
足と足首が離れるように、
それぞれが役割を持ってじゅうぶんに機能するように、
すじを伸ばしてみて。
バランスをとってみて。

自分の中心
自分を保つところ
 をさぐって。
それが自分の役割
いずれは天命を さがしてみて。



↓「タダーサナをしたら姿勢がよくなりました」だって。
カラダが自立していきいきとその役割を果たせるようになりました、ってことだねemoticon-0115-inlove.gif
ワタシ自身がいきいきと生きるきっかけとなりました、ってことだねemoticon-0123-party.gif
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by yogabeaware | 2012-05-16 00:17 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑥ ~ ハタヨガ・プラディーピカー 1章17節

Hathasya prathamaangatvaadaasanam poorvamuchyate.
akuryaattadaasanam sthairyamaarogyam chaangalaaghavam
.


Prior to everything, asana is spoken of as the first part of hatha yoga.
Having done asana, one attains steadiness of body and mind, freedom from disease and lightness of the limbs.                                     Hatha Yoga Pradipika ( 1:17 )   
 


 In raja yoga, asana refers to the sitting position, but in hatha yoga it means something more. Asanas are specific body positions which open the energy channels and psychic centers. They are tools to higher awareness and provide the stable foundation for our exploration of the body, breath, mind and beyond. The hatha yogis also found that by developing control of thedy through asana, the mind is also controlled. Therefore, the practice of the asana is foremost in hatha yoga.

・・・( パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』を根本経典とする )ラージャ・ヨガではアーサナとは座る姿勢だと述べられています。 しかしハタ・ヨガでいうアーサナとは、それ以上のもので、それはエネルギーの流れやサイキック/心霊のセンター(チャクラ)を開く、ある特定のポーズなのです。

それは 「高度な気づきのための道具」 であり、身体、呼吸、心、あるいはそれ以上のものを探求するための 「安定した基盤」 なのです。

ハタ・ヨガの行者たちはアーサナをとおして身体をコントロールする能力を開発してきました。 そして、心もコントロールできることを発見したのです。 ハタ・ヨガではアーサナの練習を、だからこそ真っ先に行うのです。
 ( 『Asana Pranayama Mudra Bhabdha』 by Swami Satyanannda Saraswati  8p )                  
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 ( 写真はビハール・スクール・オブ・ヨーガ出版の 『Hatha Yoga Pradipika by Swatmarama』 )

Yogasanas are not exercises, but techniques which place the physical body in positions that cultivate awareness, relaxation, concentration and meditation.

ヨーガ・アーサナは運動ではなく、「気づいている」という意識、本当のリラクゼーション、集中、そして瞑想・・・それらの能力を自分の内に耕し、開発するために、肉体をある状態に定める技法です。   

 ( 『Asana Pranayama Mudra Bhabdha』 by Swami Satyanannda Saraswati 12p )  

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by yogabeaware | 2012-05-12 19:45 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ⑤ ~ Iswara Pranidana 

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と、前回のようにして本当の自立とはエゴを手放すことだと、私たちは自らの体験によって知っていくのです。

それは、この肉体を、この感情を、この心を、このエゴを (道具として) 使った、
本当の経験であり、
内からわきでる知識と、脳・心に残った印象との完全な一致であり、
それは本来人間が悠久の昔から受け継いできた 「人間の叡智」 であるのです。

この内なる智識が、
エゴを手放すこととは人間の本来の性質なのではないか
それがわたしの本当の自由・本当の生なのではないか
という聖なる問いに導き、


やがて 「自立」 の先の偉大なる 境地 ~ Iswara Pranidana ~

手放した先にゆだねるものがあるという境地へ
「神」「大いなる愛」「永遠不滅のもの」が存在するのだという境地へ
恐怖から無恐怖の境地へ
生きながら死んでいる状態からほんとうに生きている境地へ

誰の占いにも魔術にもグルにも聖典にも惑わされることなく
みずからの力で
みずからがみずからを導くように
導かれてゆくのです
みずからがみずからを導くように


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by yogabeaware | 2012-05-12 19:21 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ④ ~ 「自立」について④

              おもしろいことに、カラダが自立すると、精神も自立するのです。
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今まで見てきたように ( 「ハ・タ・ヨガとは①~③」 をご参照ください ) ハ・タ・ヨガの入り口で扱うものは、
この肉体です。 手や、足や、骨盤や、胴体です。
それらが自立、してないですって?

わたしたちは生まれてこのかた、このカラダは自分のモノのように思っています。
自分が所有してるもの、意のままになると思いこんでいます。

しかし、ヨガで身体を動かしてみると、いかにこのカラダが思い通りにならないかを痛感します。
カラダが本来の力を発揮できなくなっていることに気づきます。
それは、「カラダは私のもの」と思いこんでいるエゴが、カラダを自分のほうに自分のほうにと引き寄せているから。
カラダはエゴに従順なのです。
今やカラダは自分一人では立っていられなくなっている。
エゴに完全に依存して、エゴの範囲内で毎日歩き、かがんだり、伸びたりして頑張っているのです。
腕も脚も骨盤も胴体も、それらがちゃんと自立して動き歩くのではなく、
エゴの命令に従いエゴのはんちゅう内で動くものへと変貌してしまいました。
いきいきと動くものではなくなってしまいました。
それら自身さえ自分が不自由なことに気づかないほどエゴに取り込まれてしまいました。
エゴの引力は莫大なのです、カラダはその力に抵(あらが)いようもありません。
本来あった場所から、エゴが思いこんでるる場所へと、窮屈で仕方ない場所へと移動してゆきます、
不自由で仕方ない場所へ。
もう、どこからが骨盤で、どこからが脚なんだか、
どこからが肩で、どこからが腕なんだか、
どこからが首で、どこからが頭なんだか、
まったく分からない状態へ。
もうろうとしている状況へ。


これをゆがみと言ったり、病気と言ったりします。

それは、カラダの各部位が、自分のあるべき場所、果たすべき役割を忘れてしまった状況です。
機能を果たせない状態です。
自立していない状況です。

ハ・タ・ヨガですべきこと。それは、カラダはカラダで自立してもらう、ということです。

わたしたちを構成するエネルギーや心、魂の基盤は、健康な肉体なのです。
それが、何が何やら、ごっちゃになって、わけわからない、こんなもうろうとした状態では、
エネルギーはその機能を発揮できません。
いつも疲れてしまいます。
心だって強い意志力やポジティブな夢をいだけません。
いつもなにかを心配してしまいます。
魂が永遠だなんて、考えも及びません。


ハ・タ・ヨガで、まず、すべきこと。それはカラダはカラダで自立してもらうことです。

アーサナをしながらやってみて。
たとえば・・・
足の指とはこうあるべきものだ、という思い込みをすべて捨ててやってみて。
足の指先を・・・
それらがもっともあるがままの状態へ。

あるべき場所、あるべき向き、あるべきバランスの方向へ。
それらを感じてみて、透明な観察で。
手綱を離してみて。
かれらを自由にしてあげて。
そしてそれらがもっともいきいきとする方向へ。
存分に能力を発揮できる方向へ。
向かわせてあげて。
足の指先を、
足の甲を、
足の裏を足首を、
ふくらはぎを、膝を、膝うらを、ももを、脚の付け根を ・・・
 あなた自身を。 それが 「自立」 です。
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by yogabeaware | 2012-05-12 16:34 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ③ ~ 「自立」について③

ハ・タ・ヨガとは、
身体からエネルギー・心・知性・魂にまで働きかけるものだ、ということを見てきました。
またそれは「意識する ~Conciousness~」 「気づいている ~Awareness~」 を保ちながら
動くことにより、魂でさえも見つめることが可能なのだ、ということを見てきました。
そしてわたしたちを構成している、身体・エネルギー・心・知性・魂は、相互に作用し影響し合うということも見てきました。 (ハ・タ・ヨガとは ①  をご参照ください)


わたしたちを構成する一部分が変われば、全体が変わる。
すなわちカラダが変わればココロが変わる。
ハ・タ・ヨガの入り口とは、わたしを構成している一部分、
それも 「目に見えて、親しみがあり、扱いやすい」一部分、
= 身体 を刺激することで、
見えない部分・見えにくい部分を感じ、

ひいてはわたしたちの存在全体を変容しようという
「試み」「働きかけ」「手法」「科学」です。

では実際のところ、カラダにどのように働きかければいいのでしょう?
前回のイラストのベンチプレスの人のように、ただがむしゃらにポーズをとるのでは・・・勿論ありません!
ヨガとは 高度な気づき でしたよね!
↓↓↓
高度な気づき
透明な観察
です


ひとつのアーサナ(ポーズ)の間じゅう、まずわかりやすいカラダを 筋肉を 骨を 感じて観察してゆくのです、
一切の私的観念・常識・心のつぶやきを排除して

さあ、解剖学の研究者にでもなったつもりで感じてみましょう。
このとき、目を開けているよりつぶっていたほうがより感じやすく、また目を閉じ感じる感覚は案外正確なのだと気づくでしょう。
では、あるアーサナのときに伸びる筋肉を観察・研究してみましょう。
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伸びている様子をよ~く観察していると、筋肉は骨から骨へと付着しているのだということが理解されてきます。
その骨を微妙に動かすだけで、同じ姿勢(アーサナ)をしていても伸びている筋肉に別の感触を感じるでしょう。

ヨガをしている人はこのようにそのポーズ(アーサナ)を精妙な観察によって、調査し、調整し、工夫するのです。

では、一体どの方向へ?

それは、このポーズ、このアーサナが伝えたいこと=本質の方向へ、です。
これは、一切の私的観念・常識・心のつぶやきを排除した、「清らか」で「透明」な観察と気づきを持ってのみ
しぜんに導かれてゆくものです。

ヨガ・アーサナとは美しいポーズをとることでも、ポーズの完成形を目指すのでもなく、

アーサナが伝えたいこと=アーサナの本質を知る
というプロセスなのです。


そしてこのプロセスを体験すること、
物事の本質を知るというプロセスを体験をすることが、
「私」とは何かを知る一歩となり、
=ほんとうの意味の「自立」におのずと向かう一歩となるのです。

上記のような解剖学の研究はこの輝かしいハ・タ・ヨガの目的に向かう、ただのとっかかり、です。
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by yogabeaware | 2012-05-12 15:47 | ヨガ哲学

ハ・タ・ヨガとは ② ~ 「自立」について②

身体を動かすヨガだけで  ほんとうの意味の自立 ~自分が人生の主人になる~ ことがなぜ出来るのか
前回の続きです。

「身体を動かすヨガ」 と 「身体を動かす筋肉運動」のもっとも大きな違いはなんだと思いますか?


それは AWARENESS 
そこに 気づき 
があるかどうか です

例えば大胸筋を鍛えようとベンチプレスをします。その時そばにインストラクターがいたら、「胸の筋肉を意識して挙げて~」と声をかけるでしょう。さて、無意識にただ重りをあげたりさげたりするのと、使う筋肉を意識してゆっくり動作するのとでは、結果にどれだけの違いが出てくるでしょう?やってみると、わかります!ホレボレとする逆三角形のカラダへと変わってゆくのは、完全に後者のほうです。


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ヨガでは、上にあげた例以上のもっと高度な気づきをアーサナ(ヨガのポーズ)の間中、保ち続けます。
高度な気づきとは何か
それは見えるものから見えないものにまで気づくこと。
見える身体から見えないエネルギー、心、知性、魂にまで気づくこと。
「わたし」という存在全体に気づくこと。



そう!
「わたし」という存在全体に気づく
ということが、

「ほんとうの自分を知る」
「自分のみなもとを知る」
「生まれてきた意味/天命を知る」

それが
自分で自分を生きる=自立へと導くのです

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by yogabeaware | 2012-05-12 13:48 | ヨガ哲学