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カテゴリ:あい( 4 )

神さまは身近にこそいるんだ。。。

神さまって、仙人のように万能で偉くて立派なものだと思っていました。
空(そら)にいて、人間界を見おろしているのだと思っていました。
それにしては世の中理不尽なことばかりで、やっぱり神さまなんていないんだと思っていました。

私を変貌させたのはシュリ・ラーマクリシュナです。
彼と神との、あまりにも具体的で、あまりにもチャーミングな、その交流の話を聞いたとき、
ヨガの勉強で習ってきた、「神さまは自分の内にいる」ていうのは本当なんだと直感しました。
私にも知覚できるかもしれない、
ラーマクリシュナのようにそれと繋がることができるかもしれない!と高揚しました。e0200565_16552897.jpg
時には親子のように、恋人のように、主人と従者のように、
神さまと身近な関係でいていーんだ!って心からほっとしました。

以下は、ラーマクリシュナ(19世紀に実在した人物)が語ったことです。


「ヤタダリはラームラーラの像(幼きラーマ神の像)に奉仕していた。
彼は行くところには必ず神像を持ち運んだ。
おめぐみで頂いた食べ物はすべてラームラーラの神像のために調理し捧げた。
それだけではなく、彼はラームラーラが実際に食事をしたり、何かを食べたいとか散歩に行きたいなどと子どものようにおねだりするのをその目で見ていた。
ヤタダリは喜びに圧倒されながらラームラーラへの奉仕に没頭していた。
わたし(ラーマクリシュナ)もラームラーラが実際にそのような行動をするのを見た。
わたしは彼らと共に過ごした。
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 「日がたつにつれラームラーラはわたしを愛するようになっていった。
わたしが彼らと一緒にいる間は陽気で楽しそうだが、わたしが自分の部屋に帰るとすぐさまあとを追ってきた。
一緒に来ないようにと命令してもヤタダリの元に留まってはくれなかった。
最初、これは幻に違いないと思った。
なぜってヤタダリがあんなにも長い間熱烈な思いで奉仕している神像なのだもの、どうして彼よりもわたしを愛することがあるだろう?
しかしそれはわたしの想像ではなかった。
わたしはあなたを見るようにはっきりとラームラーラを見たのだ──わたしの前でダンスをし、わたしの後をついてくるラームラーラを。

「ときどき彼はわたしの膝に乗りたがった。
だがそうしてあげてもじっとしておらず、太陽のもとに駆けだしていってはいばらに咲く花を摘んだり、ガンジス川で水遊びをしたり泳いだりするのだった。
わたしは何度も何度も彼に言ったものだ、
『わが子よ、そんなことをしてはいけないよ。太陽の下で走ったらおまえの足の裏が火ぶくれするよ。そんなに長く水に浸かっていたら風邪をひいて熱を出してしまうよ』と。
しかしわたしがどんなに注意しても決して耳を貸さず、悪ふざけを続けるのだった。
時々、彼は美しく甘いまなざしでわたしを見、
時々わたしに向かってふくれ面をした。
わたしは本当に怒って、『待ちなさい、このいたずらっ子め!今日はただじゃおかないぞ。骨が粉々に砕けるまで打ってやるからね』と言って叱ったりした。
屋内で遊ばせようと注意をひきそうな贈り物をしてみたが、それでもいたずらが続くと、わたしは二、三回平手打ちをしたりした。
すると彼はふくれて目に涙をいっぱい溜めてこちらを見るのだ。
耐えきれずわたしはつい彼を膝に抱いてなぐさめるのだった。
これらのことはすべて本当に起こったことだ。

 「ある日ガンジス川に沐浴に行こうとすると、彼も一緒に行くと言い出した。
さてわたしに何ができよう?そうするしかないではないか。
でもその日彼は決して水から出てこようとしなかった。
何度も頼んだがまったく聞き入れてくれない。
ついにわたしは怒りのままに、
『もうよろしい──おまえの好きなだけ水に浸かっているがいい!』と言って彼を水に沈ませた。
そのときわたしは彼があえぎ、呼吸をしたがっているのを感じたのだ!
『何をしているのだ、わたしは!』
うろたえて我にかえり、わたしは彼を水から引き上げ、胸に抱いた。

 「数日間、ヤタダリはラームラーラに捧げる食事をつくっていた。
が肝心のラームラーラがどこにも見当たらない。
彼は悲しみにくれながらわたしの部屋に走ってきた。
するとそこの床でラームラーラが遊んでいるではないか!
ヤタダリはとても傷ついて、
『わたしはあなたに供物を捧げるために大変な苦労をしているのですよ。わたしはすべての場所を探しました──そしてあなたはここにいた。
いつもそうだ!あなたはわたしのことを気に掛けてもくれない。
あなたはすべてをお忘れになってしまっている。
あなたはいつもそうなのだ。
あなたは自分が楽しいことをする。
親切心や愛情なんてないのだ。
親元を離れ、森へ行ってしまうのだ。
かわいそうなお父さんが心の傷で死んでも、死の床にさえ姿を見せに来ないのだ!』
ラームラーラを叱責して、彼を自分の部屋に連れ帰り、供物を食べさせた。
このように月日は流れていった。
ヤタダリは長いことダクシネシュワル(ラーマクリシュナがいた寺院)に滞在した。
ラームラーラがわたしから離れたがらなかったからだ。
ラームラーラを置いて一人で去るにはあまりにも長く彼を愛してきていた。

 「そんなある日、ヤタダリが喜びにむせび泣きながらわたしの所にやってきた。
そして、
『わたしが今まで知らなかった、
そしてわたしが長いこと願っていたお姿を、
とうとうラームラーラが見せてくれた!
これで人生をかけた望みは叶った。
ラームラーラはここから去りたくないと言っている。
彼はあなたから離れたくないのだ。
だがわたしはそれを聞いてももう悲しくはならない。
彼はあなたと幸せに暮らし、喜びに満ちて遊んでいる。
そして彼がそうであるのを見ることがわたしにとっての至福なのだ。
わたしのしあわせは彼の内にあることを今やわたしは学んだ。
だからわたしは彼をあなたに預け、ひとりで去ることができる。
彼があなたと共にいる幸せを、わたしはこれからずっと楽しむことも出来るのだ!』
と言った。
そしてヤタダリはラームラーラの像をわたしによこし出て行った。
ラームラーラはそれ以来ずっとここにいるのだよ。」
神さまはなんていとおしく、なんてチャーミオング!
こんなふうに神さまを愛していいんだ!
こんなふうに付き合っていいんだ!

ここでは神さま(ラームラーラ)は万能でもなく偉くもなく、ただ愛の権化、だ。
いや完全で万能だからこそ、このラームラーラのように無邪気に人を傷つける子供のような振る舞いをすることもできるのだ。
そしてそれによってヤタダリは至福を知ることが出来た。
ラームラーラの像を手放しても、ラームラーラを、その本質を、自分の内なるハートに安住させることが出来たのだ。
ヤタダリと同じ喜びを・・・と、私も憧れる・・・

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by yogabeaware | 2012-04-09 16:58 | あい

慈悲って・・・

     去年は「慈悲って何?って、ずっと考えていて。。

     慈悲って「同情」とか「愛」とは次元が違う気がして、、e0200565_10454974.jpg 

     それには「エゴ」ってものが寸分も入ってない気がして、、

     慈悲深く生きられればなんて素晴らしいかと思うけれども、、

     慈悲って人間にできることなのか・・・?

     それは私から遠くにある気がした。

 




昨秋のインド巡礼の旅。
参加者の半数が激しく体調をこわした。
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私はスロースターター、様子見の人間。
物事が起こってもどうしたらいいかわからない不器用者。
大体、他人の看護なんて得意じゃない。
いかにも善人のように看護の先頭をきることが出来ない。


でも、インドでは出来た、、というより「してた」。
こんな私がよ~、
熱にうなされるひとを自分のように感じて足をさすり、身体を支え、近くに添い寝し見守る。。
善人ぽくて見られたらイヤだとか、
専門家じゃないからわからないとか、
他の人がやってくれるのを待とう
という考えは浮かばず、ただ病人が元気になる手伝いをしたかった。


・・・
元気になったある方の第一声。
「看病してくれてありがとう。
みんなが近くにいるから安心だった。
私は病気をしたお陰で、一度に娘がこんなに出来た!」
と私たちを見ておっしゃった。
あれは忘れられない宝物。

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帰国して誓ったんだ。
もしもそれが愛に基づく行為なら、怖れずにそれをやろう。
もう様子見はやめにしよう。
傍観者はやめよう。
行動しよう。

そしたら、私のハートの中の何かが変わった気がする。

「慈悲」「愛」「同情」・・・その違いって何なんだろうって、震災後ずっと考えていた。同情だけではない、もう一段階上の世界に進まないと、何も変わらない気がしてる。

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by yogabeaware | 2012-02-04 01:28 | あい

Hare Krsna

クリシュナの肌がなぜ黒いのか、または青黒いのか

私はクリシュナから直接ききたい

クルクシェートラの戦場でのクリシュナではなく、

いまそこにいるクリシュナに会いたい
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by yogabeaware | 2011-02-17 22:44 | あい

サチャ・デヴァダス氏からのメール

Hare Krsna!


Miwako san,


I am so happy to receive your email. I miss being with you at the Thursday night Bhagavad Gita class. I am glad to know that you are still attending every Thursday and that Madhu is giving the class.


Yes, Krsna wants us to trust Him. This is His final instruction to Arjuna near the end of the BG. 18.66


The opposite of trust is fear. Trusting Krsna means giving up our fear. Krsna is not asking us to trust him blindly. He is not asking us to have blind faith. No! We can learn to trust Krsna. How? By our own direct experience we can see that Krsna is the most reliable.


We can have this direct experience by keeping our awareness present in each moment. How do we keep our awareness present in each moment? By letting go of thinking about the past or future and noticing our direct experience of each moment. Then we directly experience that we are alive and exist. Such as when we listen to the silence behind the sound, we naturally notice there is awareness of hearing. The awareness is not another thought. No, the awareness exists before the thought, during the thought and after the thought. Awareness is our true self.


Awareness is always present and never changes, therefore we can trust it. Where does awareness come from? Awareness comes from the supreme source of everything, Krsna!
Our life comes from Krsna. Therefore we can trust Krsna because He is the most reliable.


Attached you will find a short essay i recently wrote about trust and surrender. I hope you enjoy it.


I am looking forward to seeing you in April. Please write to me whenever you feel like it.


with affection,
satyadeva das
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by yogabeaware | 2011-01-30 10:19 | あい