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カテゴリ:ヨガ的な生き方( 18 )

サットサンガへの誘い

~ 引き続き クリシュナムルティ の言葉
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 (とこれまで私が話してきたことは)人生、というとてつもない地図を観察することだったのです。

・・・

 それゆえにこそ、賢者と交際して生きることがいいのです。
 人をバカにしたりしない、真に賢明なる人と共に生きることが。
 真の知恵は、本を読んでも、知恵を教えてくれるクラスに出席することによっても生まれません。
 知恵は、自分を知ることと共に生まれるのです。


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知恵は、自分を知ることと共に生まれる ~ やっぱり、→ ほんとうの知識 に戻ってきた。

そして

賢者と交際して生きることがいい ~ すなわちサットサンガ、清らかなつどい

・・・振り返るとわたしは生まれてからずっとそれを求めてきた気がする・・・
・・・そして心身が健康になるはずのヨガをする人の中にもいろんな人がいることを知り、また地震や原発事故が追いかけてきて、求めるこころに拍車がかかりあせっていた。私自身が何かにつかまりたかったのか。。

サットサンガは起こるもの。 起こすものでは、ナイ。

あなたに聞きたい。

ある人(もしくは家族)と、いつも仲良くお付き合いをしているけど、だけどそこはかとなく、不安・・・だったりしてない?
付き合いの最中は楽しいけど、ふと、なにか腑に落ちないような、消化不良のような、はっきりしないモヤモヤがあったりしない?
そのひとに気持ちを伝えられてる?
あなたは注意を払われている?
言い合えている?
厳しいことを言う人を避けてない?
その人と共にいる時間はあなたの人生において貴重ですか?
その人がいなくても、自分一人で、大丈夫ですか?


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あなたがほんとうに光のほうに行きたいのなら

自分で自分を知る勇気を持つことだ

それはただ見る ~ クリシュナムルティが言うように ~ ちゅうい・深く、

つまり何の敵意も恐怖もなく、大きな愛情と思いやりの目で、あるがままの自分を見ることだ

それによってあなたの周りにつどうひとたちが変容する

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by yogabeaware | 2012-07-19 14:01 | ヨガ的な生き方

注意深さと愛情と思いやり

以前、投稿した 注意深さへの気づき ・・・ ヨガをやるようになって私は初めて実感した。
互いの不注意さにより私たちはどれだけ傷つけ合っているかを。

注意深くあるということは気づいている、ということである。
対象を意識することである。
対象のあるがままを見、それをそのまま理解しようということである。

それができれば、私たちの関係は変わり(それがひととひとでも、ひとと自然でも)
それによってごくしぜんにこの、私たちが生きている世界が変わるのではないか。。。

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( クリシュナムルティ と A.W.アンダーソン教授との対話 )  ( 生の全変容 196p )

K  サルについては、こんな話があります。
  
   あるとき、ベナレスのいつも滞在する場所で私がヨーガをしていたとき、黒い、尾の長い一匹の大猿がやってきて、ベランダに坐りました。私は目を閉じてヨーガをしていたのですが、目を開けるとその大猿が見えたのです。サルは私を見、私もサルを見ました。大きなサルで、とても力強い感じでした。やがてそれは手を伸ばしたのです。そこで私は近づいていってその手を握りました。

A  握手したのですね。

K  ざらざらしていましたが、しかしとても柔らかでした。実に柔らかだったのです。そして私たちはお互い見つめました。それは部屋の中に入りたがりました。で、私は、いまはヨーガをしているところだから、別の日に来てくれないかと言いました。そんなつもりで話しかけたのです。するとそれは別の日にやって来ました。彼が私を見たので、私は引き下がりました。すると彼は入ってきて、二、三分そこにいましたが、それからおもむろに出ていきました。

A  すばらしい、実にすばらしい。 お二人の間に完全な注意の行為があったわけですね。

K  何の恐怖感もありませんでした。それは恐れていませんでしたし、私も恐れていませんでした。   
よくわからないのですが、何らかのコミュニケーションがあったに違いありません、親しみがあったに違いありません。何の敵意も、恐怖もない状態。そんな状態で見つめたのです。
思うに、注意は練習して習得すべきものではないのです。学校に行って注意深くなるよう養成すべきものではないのです。・・・

・・・

K  ですから私は、注意深くあることには、大きな愛情と思いやりの気持ちがあると感ずるのです。
   それはつまり入念に見守ることを意味します。入念、ディリジェントという言葉は「レジャリ」、つまり、「読む」 ことから来ているのです。ものごとをあるがままに読むのです。解釈せず、翻訳せず、それをどうにかしようと企てずに、目の前にあるものをそのまま読み取るのです。
   
   見るべきことは無限にあります。快楽の中には、見るべきものが実にたくさんあるのです。で、それを読 むには注意深く見守り、丹念に注意を働かせねばなりません。が、私たちはそうしません。私たちは実にいい加減で、不注意なのです。快楽のどこが悪いのだと言って開き直るのです。
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by yogabeaware | 2012-07-19 11:27 | ヨガ的な生き方

単にそれでいい。。

(前回から引き続きの話しで)

単に、

受け身でいいんだと思うよ。


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人生を振り返ってみて。

自分でどおうにかしようともがき MANAGE しているときより

あんまり自分で考えてなかったような、直感に任せたような、放り投げたような、

ときのほうが思うようにコトが運んでたこと
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by yogabeaware | 2012-07-13 21:06 | ヨガ的な生き方

しぜんの摂理

で、 「受け身に生きる」って書いたけど、それって、「ひとのために生きる」ってことだと思わない?

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(うつくしいねえ~)

エレベーターに同乗していたおじいさん、あと数階上に行くだけだろうに、
「まったくおっせいな~、ちっ、ちっ」って苛立ってた。
ね~え、自分でどうにも出来ないコトにそんなイライラしなさんな~
こんなちいさなハコの中でイライラ波動を発信されたら、わたしたちにもそんな気分が移るナ。

もしも一人一人が受け身でリラックスしていて穏やかであれば、もうそれだけでこの世はピースフルだと思わない?
遅刻している事実も、エレベーターを早めることも、オレにはできないよと
もし自分の非力に気づき、受け身に行動できたら、自分自身がいやされるのに。。。
きっと自分をいやした力でひともいやせるのに。。。
それだけで自然にひとのために生きれるのに。。。
それが人生のほんとうの満足であるのに。。。
それはこんなにも近くにあるってのに。。。

わたしたちは思いこみをしてない?
人生ってたたかいとか、
主体的に生きるだとか、
思いを実現することだとか、
自分が主人公になることだとかetc...

それらは全部、結果なんだよ、自然に起こることなんだ。そうしようとしてなることではない。
たとえ自分が手綱を握ってやってみて一時的に実現したとしも、
それは泡のように消えてくか、やがてそれに満足しなくなりまた闘いを始めるとおもうよ。

受け身でリラックスして生きるっていうことこそ、「生きる」「LIVE」の本質だと思う。
生かされるように生きるってことだと思う。
そうすれば自然にコトは流れるんだと思う。
受け身に生きるとは何に束縛されているのかに気づき、束縛のないほんとうの自由を生きること。
そのとき自分を愛し人を愛せるんだと思う。
それが自然の摂理、宇宙の法則なんだと思う。
そういう人が増えていくことも自然の摂理であり、これからそうなっていくんだと思う。
受け身でリラックスして生きるっていうことこそ本当の平和活動だと思う。
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by yogabeaware | 2012-07-13 20:38 | ヨガ的な生き方

受け身に生きる♪

 (うつくしい ・・・ 北海道・美瑛の なのはな畑1 ・ なのはな畑2 を遠くから見るとこんな感じでした)
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たたかう

というコトから

つねに

離れて

生きていきたい



いま痛切に願ってる


                   ♪            ♪            ♪


「あなた方は常にリラックスし、受け身的で、穏やかで、平静で、 しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません」  ( by 『シルバーバーチの霊訓』 )


                    ♪            ♪            ♪


闘っているつもりはないんだけど、
冷静になってよ~く観察すると 「あ~あれは闘ってたんだな~」 「だから辛かったんだな~」
と分かること、最近しきりで。

勝手に、 「これは私に課された試練っ!」とかって思いこませて耐え忍んできた。

そう、たたかうハメになってしまうときって、こうやって心を使って、自分に「〇〇」と思い込ませてきていたんだ。
こうしていったん心を使っちゃうと、あっという間に過去や常識や思惑や社会やエゴやいろんなものが入ってきちゃって、
とたんに、何かと何かの「対立」が始まってしまうのだ。。
過去や常識や社会がそこにあれば、何かと何かの対立が起こるのは当たり前だよ~mmm...

それよりも

もっと純粋な状態、
「常にリラックスし、受け身的で、穏やかで、平静で」 いて、
その、受け身の状態で感じること、観察することを頼りに生きよう。
そのときにはたたかいはないでしょ?。
物事は流れるように流れ
進むように進む

あたり前かあ・・・
この感覚がわからなかったんだなあ・・・


                    ♪            ♪            ♪


(クリシュナムルティとアンダーソン教授の問答より。)
A : 根本での変化。

K : 根っ子での。そうです。そういう変化があるとき、(変化した)彼は、自然に社会に変化を起こすのです。・・・まず、第一に個人、なのです。社会を変えるのは人間個々人の変化なのです。(『生の全変容』16p)
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by yogabeaware | 2012-07-12 15:39 | ヨガ的な生き方

家族の波動

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           (うつくしい・・・北海道・美瑛のなのはな畑。 なのはな畑1コチラ

どんなに喧嘩したって、どんなに口きかないときが続いたって、
居間にひとりでいるときに「あなた」がやってくる。
と、ふっと自分の固いエネルギーがやわらぐ。
口元がゆるむ。
コレ、最近の体験。
家族ってこういうもんだ。
居るだけでいいんだ。
存在してくれてるだけでいいんだ。
口きかなくたっていい。喧嘩しててもいい。
「あなた」や「わたし」が大悪人でもきっといいんだろう。
そんなのは関係なくて、
ただ存在してるだけで満足だ。
「あなた」のエネルギーを感じるだけで、
それだけで「わたし」は満足です。
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by yogabeaware | 2012-07-12 14:23 | ヨガ的な生き方

ひとりひとりの変容が本当の平和活動なんだ

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 (うつくしい・・・北海道・美瑛のなのはな畑)

 この世がすべて波動でできているんだったら、

      自分自身、いつも、少しでも、いい波動でいたい。

           身近な人にいい波動が伝わるようにありたい。

                そんな行動でつながる仲間と共に居たい。

                     しあわせの波動で存在すること、

                          調和の波動で存在すること、

                               それこそ平和の活動だ。


平和活動だと言って、怒りのシュプレヒコールをあげることはしない。

怒りの波動で平和は叶わないから。調和を欠いた平和、なんてないから。
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by yogabeaware | 2012-06-30 00:02 | ヨガ的な生き方

「愛」という基盤作り

ヨガをして、
始めは気持ちよさを感じてゆく~

次にその気持ち良さを観察し、研究、追求してゆく~

それ↑がヨガの始めと中途と書きました。

で、ヨガで体験したことを、生き方に生かしてみる! 

まず自分を受け入れよう、そして未熟部分をみつめようということ。

ホップとステップ、段階があるのです。

まず気持ち良さを感じてから、次の段階に進む=
「きもちいい~自分」を許してから冷静にみつめるということ。
すなわち冷静にみつめる作業にも耐えうる、揺るぎない基盤作りが大事。
「愛」という基盤作りが。

すると未熟ささえいとおしくなる。
それをみつめて気持ち良さに向き変えることが心地よくなる。
新たな自分を発見し、また一層心地よくなる☆
そして自分が独自になってゆく☆
自分の本質に近づいてゆく☆
自分の生き方が見えてくるの☆
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by yogabeaware | 2012-06-15 23:03 | ヨガ的な生き方

NO EXPECTATION !

わたしを、
最初に、e0200565_1941682.jpg
自分が自分の主人になる 「ほんとうの人生」 に面と向かわせてくれた人は
マリオ先生だ。
彼が、
いつでも、
自分に、
奥さんに、
生徒さんに言っていたのが、
NO EXPECTATION!



ヨガクラスの最中にも、わたしたちがインドにヨガの資格を取りにいく前にも、言っていた。
そして結婚前奥さんが遠く離れた地からマリオに会いに来るというときも、事前に彼女に言っていたという
NO EXPECTATION !

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一度、あなたのその期待をはずしてみて。
なんと自分の肩の荷が軽くなるか!
なんとありのままが良いか!

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by yogabeaware | 2012-05-15 19:11 | ヨガ的な生き方

ヨガの落とし穴

ヨガを続けていくと、自分の内側の未開地帯が発見・開発されていくようです。
身体は柔軟になるし、心は落ち着くし、今まで聞けなかった(周波数の?)音を聞いたり、匂いをかいだり、
いわゆる第六巻が冴えるというのか、第三の目が開けたわ!と喜ぶ人もいる。


~ 落とし穴に落ちてはいけない ~


たとえそれが本当に起こったことだとしても

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それをひとに話しなさるな
いちいちお喜びなさるな
一喜一憂するなんて
それはヨガじゃない

小さな喜びに酔ってばかりじゃ進歩しない
その喜びはただの妄想かもしれないし
「わたしってスゴイ!」って、エゴを生むのだ
「わたし」にしがみついているのは
ヨガじゃない

淡々と、
まるで起こることが他人事のように進むのだ
目的地での喜びは世俗の喜びの比ではない、のだから!


ヨガの落とし穴とは、気持ち良いことや起こってくる喜びがあまりにも嬉しくてそれにしがみつき、エゴがそれに執着・固執してしまうことです。 始めは 「きもちよさ」 はヨガの道の良い指針になります。 でもいずれ、それをも無視する/手放すことが必要となるのです。 それによって、大きく進歩する。 またそうしないと進歩はないのです。
ご参考 → 「いいことも悪いことも同じようにトゲである

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by yogabeaware | 2012-05-12 21:20 | ヨガ的な生き方