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注意深さと愛情と思いやり

以前、投稿した 注意深さへの気づき ・・・ ヨガをやるようになって私は初めて実感した。
互いの不注意さにより私たちはどれだけ傷つけ合っているかを。

注意深くあるということは気づいている、ということである。
対象を意識することである。
対象のあるがままを見、それをそのまま理解しようということである。

それができれば、私たちの関係は変わり(それがひととひとでも、ひとと自然でも)
それによってごくしぜんにこの、私たちが生きている世界が変わるのではないか。。。

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( クリシュナムルティ と A.W.アンダーソン教授との対話 )  ( 生の全変容 196p )

K  サルについては、こんな話があります。
  
   あるとき、ベナレスのいつも滞在する場所で私がヨーガをしていたとき、黒い、尾の長い一匹の大猿がやってきて、ベランダに坐りました。私は目を閉じてヨーガをしていたのですが、目を開けるとその大猿が見えたのです。サルは私を見、私もサルを見ました。大きなサルで、とても力強い感じでした。やがてそれは手を伸ばしたのです。そこで私は近づいていってその手を握りました。

A  握手したのですね。

K  ざらざらしていましたが、しかしとても柔らかでした。実に柔らかだったのです。そして私たちはお互い見つめました。それは部屋の中に入りたがりました。で、私は、いまはヨーガをしているところだから、別の日に来てくれないかと言いました。そんなつもりで話しかけたのです。するとそれは別の日にやって来ました。彼が私を見たので、私は引き下がりました。すると彼は入ってきて、二、三分そこにいましたが、それからおもむろに出ていきました。

A  すばらしい、実にすばらしい。 お二人の間に完全な注意の行為があったわけですね。

K  何の恐怖感もありませんでした。それは恐れていませんでしたし、私も恐れていませんでした。   
よくわからないのですが、何らかのコミュニケーションがあったに違いありません、親しみがあったに違いありません。何の敵意も、恐怖もない状態。そんな状態で見つめたのです。
思うに、注意は練習して習得すべきものではないのです。学校に行って注意深くなるよう養成すべきものではないのです。・・・

・・・

K  ですから私は、注意深くあることには、大きな愛情と思いやりの気持ちがあると感ずるのです。
   それはつまり入念に見守ることを意味します。入念、ディリジェントという言葉は「レジャリ」、つまり、「読む」 ことから来ているのです。ものごとをあるがままに読むのです。解釈せず、翻訳せず、それをどうにかしようと企てずに、目の前にあるものをそのまま読み取るのです。
   
   見るべきことは無限にあります。快楽の中には、見るべきものが実にたくさんあるのです。で、それを読 むには注意深く見守り、丹念に注意を働かせねばなりません。が、私たちはそうしません。私たちは実にいい加減で、不注意なのです。快楽のどこが悪いのだと言って開き直るのです。
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by yogabeaware | 2012-07-19 11:27 | ヨガ的な生き方