しぜんの摂理

で、 「受け身に生きる」って書いたけど、それって、「ひとのために生きる」ってことだと思わない?

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(うつくしいねえ~)

エレベーターに同乗していたおじいさん、あと数階上に行くだけだろうに、
「まったくおっせいな~、ちっ、ちっ」って苛立ってた。
ね~え、自分でどうにも出来ないコトにそんなイライラしなさんな~
こんなちいさなハコの中でイライラ波動を発信されたら、わたしたちにもそんな気分が移るナ。

もしも一人一人が受け身でリラックスしていて穏やかであれば、もうそれだけでこの世はピースフルだと思わない?
遅刻している事実も、エレベーターを早めることも、オレにはできないよと
もし自分の非力に気づき、受け身に行動できたら、自分自身がいやされるのに。。。
きっと自分をいやした力でひともいやせるのに。。。
それだけで自然にひとのために生きれるのに。。。
それが人生のほんとうの満足であるのに。。。
それはこんなにも近くにあるってのに。。。

わたしたちは思いこみをしてない?
人生ってたたかいとか、
主体的に生きるだとか、
思いを実現することだとか、
自分が主人公になることだとかetc...

それらは全部、結果なんだよ、自然に起こることなんだ。そうしようとしてなることではない。
たとえ自分が手綱を握ってやってみて一時的に実現したとしも、
それは泡のように消えてくか、やがてそれに満足しなくなりまた闘いを始めるとおもうよ。

受け身でリラックスして生きるっていうことこそ、「生きる」「LIVE」の本質だと思う。
生かされるように生きるってことだと思う。
そうすれば自然にコトは流れるんだと思う。
受け身に生きるとは何に束縛されているのかに気づき、束縛のないほんとうの自由を生きること。
そのとき自分を愛し人を愛せるんだと思う。
それが自然の摂理、宇宙の法則なんだと思う。
そういう人が増えていくことも自然の摂理であり、これからそうなっていくんだと思う。
受け身でリラックスして生きるっていうことこそ本当の平和活動だと思う。
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by yogabeaware | 2012-07-13 20:38 | ヨガ的な生き方