想いはそれになる
からだが凝り固まってあたまが痛くなる・・・
ワタシこんなにきゅう屈なんだけど、これって瞑想なの?
・・・って悩んでいたころ、インド・リシケシのヨーガ・ニケタンのスワミジ(お坊さん)に教えてもらった。
瞑想とはポジティブで、明るく、自分が成長するように田畑を耕すようなものと。
ヨガの本によれば、瞑想とは深い集中だという。
絶えまなく一つのことに想いを集中させる訓練だと。
それができたとき、その想いを向けていたものと自分との一体化が起こると。
想いが、想ってる対象になってしまう、
自分が、想っている「それ」になってしまうなんて、、、
だったら決して自分の情けなさや他人の欠点を想ってはいけない。
バクティ・ヨーガは真の、純粋な、神の探求だという。
愛にはじまり、愛でつづき、愛におわる探求だという。
『バクティは神への強烈な愛である』
『人がそれを得ると、彼はすべてを愛し、何ものをも憎まない。彼は永久に満足してしまう』
(ナーラダ『バクティ・スートラ』)
『バクティに圧倒されたたましいは、
憎しみを発散する道具となるには
あまりに、愛なる神に近いのです』
(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)
by yogabeaware | 2012-04-26 13:46 | ヨガ哲学