種をまくことへの気づき
よく、「インスピレーションが来たっ!」
とかって言うよね。
そしてそういう時は何も考えないときだったとか、
仕事とはまったく違ったことをしている時だったとかって言うよね。
きっと、
「新たな」気づきを得るには、自分のフィールドよりもっと大きい世界から、
その気づきの種をもらわないと、
ってことなんだろうね。
つまり、いちど自分の枠をとっぱらうこと、
それが必要なんだね。
でも、ほとんどの私たちは、自分をとっぱらうのは苦手、、、なんだよね。
おもしろいよね、
自分のことなのに、自分のやりたいようにできないなんて。
自分がとっぱらいたいのに、とっぱらえないなんて。
さっき、
「ほとんどの私たちは自分をとっぱらうのは苦手」と書いたけど、
その、「私たち」って、つきとめてみると
「私のエゴ」、なんだよね、
「私」じゃなくって。
だって、「私」が望んでるのは、とっぱらいたい~ってことなんだもん。
だけどそれを邪魔するものが別にいるんだもん。
それをつきとめてみると・・・
「私のエゴ」、
だったんだよね。
気づき→→→「エゴ」と「私」は別のものなんだねえ。。
そこで、エゴって何だろうって、ちょっと科学者がするように詳細に観察していくと、
エゴってよくひとりごと言ってるなあ、って思わない?
私が誰かとしゃべってるときでも、エゴは心であーだこーだ分析したり、
私がひとりシャワー浴びてても、過去のこと思い返してはエゴ流に解釈しだしたり、
私は歯を磨きながら、エゴはさあてこれからどうするかなあとかA案、B案、思案している。
そしてそれらを楽しんでいる。。。
エゴを観察していると、おもしろいことがわかったよ。
どうやらエゴは、
嫌なこと、不安なことも、考え続け、シメージし続け、A案B案出して・・・
なあんかエゴってそれらも案外楽しんでいるようなんだよね。
エゴにとっては、きっとおもしろいんだろなあ、この、考えるということが。
大好物なんだろうなあ、この、考えるっていうことが。自分の考えに酔うことが。
だからエゴは、きっと酔いがさめる、
この二つの時を怖れているんだろう。
つまり、
他の意見によって「自分の考えが愚かだ!」と判断せざるを得なかった時。
と
「考えることをストップしてみて」と言われた時。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は彼らを気にかけています。。。
「私は愚かでありたくない」
「愚か者でいたくない」
「かしこく生きたい」
「論理的でありたい」
「成功者でありたい」
・・・
こうして論理的に思考し、常識的に生きることに人生の意義を感じているひとたち。。。
彼らにとって、
思考をスロウダウンすることは、はじめ、とても難しいだろうと思う。
それをやってみようと思うところに持っていくまでが、大変な気持ちの切り替え作業だと思う。
論理的に、常識的に、道徳的に思考をすることで、
生まれた意味を探そうと努力しているひとたち、
そうすることで、自分の人生の責任を取ろうともがいている、
真面目で実直な人たち。。。
私は彼らのことが気になります。
そういう真面目なひとたちが、「思考」という枠の中では、人生の答えを見つけきれずに、
自ら命を絶ったりするのではないか・・・
きっと、私もそうだったから、あるいは、そうだから
気に掛かるんでしょう。
彼らにポジティブにポジティブにと声かけたって
もうそれはよく分かりきっている。
思考を止めろ執着をなくせと言ったって
それもそうかもと既に思っていること。
人生に真面目な、自己成長に敏感な、そんな彼らが気にかかります。
今の私ができることは・・・
彼らが新たな気づきに向かうさまざまな種、ヒントを
ヨガを通して、ブログを通して、場所を通して、
地道にまきつづけることかなあと思っています。。。
とかって言うよね。
そしてそういう時は何も考えないときだったとか、
仕事とはまったく違ったことをしている時だったとかって言うよね。
きっと、
「新たな」気づきを得るには、自分のフィールドよりもっと大きい世界から、
その気づきの種をもらわないと、
ってことなんだろうね。
つまり、いちど自分の枠をとっぱらうこと、
それが必要なんだね。
でも、ほとんどの私たちは、自分をとっぱらうのは苦手、、、なんだよね。
おもしろいよね、
自分のことなのに、自分のやりたいようにできないなんて。
自分がとっぱらいたいのに、とっぱらえないなんて。
さっき、
「ほとんどの私たちは自分をとっぱらうのは苦手」と書いたけど、
その、「私たち」って、つきとめてみると
「私のエゴ」、なんだよね、
「私」じゃなくって。
だって、「私」が望んでるのは、とっぱらいたい~ってことなんだもん。
だけどそれを邪魔するものが別にいるんだもん。
それをつきとめてみると・・・
「私のエゴ」、
だったんだよね。
気づき→→→「エゴ」と「私」は別のものなんだねえ。。
そこで、エゴって何だろうって、ちょっと科学者がするように詳細に観察していくと、
エゴってよくひとりごと言ってるなあ、って思わない?
私が誰かとしゃべってるときでも、エゴは心であーだこーだ分析したり、
私がひとりシャワー浴びてても、過去のこと思い返してはエゴ流に解釈しだしたり、
私は歯を磨きながら、エゴはさあてこれからどうするかなあとかA案、B案、思案している。
そしてそれらを楽しんでいる。。。
エゴを観察していると、おもしろいことがわかったよ。
どうやらエゴは、
嫌なこと、不安なことも、考え続け、シメージし続け、A案B案出して・・・
なあんかエゴってそれらも案外楽しんでいるようなんだよね。
エゴにとっては、きっとおもしろいんだろなあ、この、考えるということが。
大好物なんだろうなあ、この、考えるっていうことが。自分の考えに酔うことが。
だからエゴは、きっと酔いがさめる、
この二つの時を怖れているんだろう。
つまり、
他の意見によって「自分の考えが愚かだ!」と判断せざるを得なかった時。
と
「考えることをストップしてみて」と言われた時。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は彼らを気にかけています。。。
「私は愚かでありたくない」
「愚か者でいたくない」
「かしこく生きたい」
「論理的でありたい」
「成功者でありたい」
・・・
こうして論理的に思考し、常識的に生きることに人生の意義を感じているひとたち。。。
彼らにとって、
思考をスロウダウンすることは、はじめ、とても難しいだろうと思う。
それをやってみようと思うところに持っていくまでが、大変な気持ちの切り替え作業だと思う。
論理的に、常識的に、道徳的に思考をすることで、
生まれた意味を探そうと努力しているひとたち、
そうすることで、自分の人生の責任を取ろうともがいている、
真面目で実直な人たち。。。
私は彼らのことが気になります。
そういう真面目なひとたちが、「思考」という枠の中では、人生の答えを見つけきれずに、
自ら命を絶ったりするのではないか・・・
きっと、私もそうだったから、あるいは、そうだから
気に掛かるんでしょう。
彼らにポジティブにポジティブにと声かけたって
もうそれはよく分かりきっている。
思考を止めろ執着をなくせと言ったって
それもそうかもと既に思っていること。
人生に真面目な、自己成長に敏感な、そんな彼らが気にかかります。
今の私ができることは・・・
彼らが新たな気づきに向かうさまざまな種、ヒントを
ヨガを通して、ブログを通して、場所を通して、
地道にまきつづけることかなあと思っています。。。
by yogabeaware | 2011-06-10 12:27 | ヨガクラスの内容