聖者の慈悲の涙

「 お前は、もし見たいと思うのなら、自分のハートの中に、クリシュナ神さまを見ることができるのだよ 」と、師シュリ・ラーマクリシュナに言われても、
「 私は、クリシュナだとか、何だとかいうようなナンセンスは信じません ! 」
と応酬していたという、若きヴィヴェーカーナンダ、ナレンドラ。
・・・彼はとことん自分で確かめるタイプの人だったのか!e0200565_23553956.jpg

今回のブログに書いた、このナレンドラの述懐・・・
師と弟子との深い結びつき
そしてシュリ・ラーマクリシュナの慈悲のような愛を感じます。
若き聖者の悩み」「若き聖者の決意」も読んでみてください。


礼拝がすむと、ナレンドラとMは話をはじめた。
ナレンドラは、亡きシュリ・ラーマクリシュナにお目にかかったさまざまなシーンを想い出していた。

ナレンドラ 「 まだはじめのころにお訪ねした、ある日のことです。
師はうっとりとした様子で、私におっしゃいました、『 来たね! 』 と。
私は思ったのです、『 なんという驚くべきことだろう!まるで、ずっと前から私を知っているかのご様子だ 』
それから、『 お前は光を見るかね 』とおっしゃいました。
私は、『はい、眠りに入る前に、私は光のようなものが自分のひたいの近くを回転するのを感じます 』
と、お答えしました」

M 「 あなたは今でもそれを見ますか 」

ナレンドラ 「 よく見たものでした。
ある日、ジャドゥ・マリックのガーデンハウスで、師は私に手を触れて何かひとりごとをつぶやかれました。
私は意識を失いました。
このことの影響は、一カ月の間、私のうちに残っていました。
酔ったような感じでした。

私に結婚の話が持ち上がったということをお聞きになったとき、
あのお方はカーリー女神の神像の足をつかまえて、お泣きになりました。
目に涙を浮かべて、母なる神に祈っていらっしゃいました。
『 おお、母よ。どうぞ、何もかも、ひっくり返してください!
ナレンドラをおぼれさせないでください!』 と。

父が死んだあと、私の母や弟たちは食べるものにこと欠きました。
師はある日、アンナダ・グハに会うと、こうおっしゃいました。
『 ナレンドラのお父さんが死んだ。家族はたいそう困窮している。
もし友人たちが金で彼を助けたら、さぞよかろうと思うのだが 』

アンナダが帰ったあとで、私は彼にがみがみと小言を言いました。
『なぜ、あんなことを彼におしゃべりになったのですか 』 と。
このように叱られると、彼は泣いてこうおっしゃいました、
『 ああ! お前のためなら、私は一軒一軒、物乞いをして歩きたいとまで思うのだよ 』

・・・あの愛によって、私たちを屈服おさせになったのですねえ。
そうは思いませんか 」

M 「 まさにその通りです。彼の愛は完全に「 無私 」でした 」
『 ラーマクリシュナの福音 』 1077 頁

[PR]

by yogabeaware | 2011-05-30 23:33 | ラーマクリシュナ