注意深くなるための方法~「スカ」と「スティル」を体験する

前回のブログには、注意深さとは高度な観察力であり、
それはありのままを見る、あるがままを受け入れることだと書きました。
ブログの最後には、身体を使うヨガ(ハタ・ヨーガ)は、
「観察する」「注意深く生きる」練習のためのたいへん有効なツールだとも書きました。

ハタヨガのいいところは、観察の拠り所・基準があるということです。
それは観察の道しるべとか、着眼点と言ってもいいと思います。
はっきりした基準があることで、注意深く観察することがよりイージーになるのです。



さて、私が本格的にヨガを始めたころ、
先生に「身体を観察してください」とか「呼吸を観察してください」とか言われても、
えー???
イミワカンナーイって感じでした。

シャバーサナで横になったときに「リラックスした身体を観察して」と言われても、
こーゆーことかな、あーゆーことかなと迷ってばかりで、自分のしている行為に自信がない。
あー、まるでリラックスしてない。。。

「意識」という、目に見えないものを使って観察する難しさを、この時はじめて感じました。

その上、ヘチマや朝顔などの変化のある対象物ならまだしも、
自分自身の身体や呼吸を観察する、でしょう?

こんなに身近なものなのに、
実は身近すぎてむずかしい、
んだよよねー



ところで、ヨガの重要な経典のひとつ、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』では、
アーサナとは二つの重要な質、「スカ(sukha)」と「スティラ(sthira)」を持つものだと論じられています。
この二つの質がポーズの内になければならない、というわけです。
あるポーズがそれが動的であれ、静的であれ、もし快適でないとすれば、
私たちは良い観察者でいられる状態ではありません。
もしそこにスカがなければ、つまり、
あるポーズをとるために自分を無理強いしているとすれば、
それは本当のアーサナではありません。
スカとは、私たちがとても快適で、自分自身を観察できる、ある心の状態のこと、
くつろいでいる状態のこと、これがスカの概念です。
ここで、くつろいでいることは、鈍感を意味してはいません。
それは注意深く、しかもくつろいでいることを意味しているのです。
だからこそ、物事を明せきに見る(観察する)ことができるのです。
スティラは、注意深い堅固さを意味します。
私たちは注意深くあらねばなりません。
うとうととしてはいけないのです。           

スカとは、一つのポーズ内に快適に留まれる能力、スティラとは不動で注意深い(alertness)ということです。                            (T.K.V.デシカチャー) 



私はヨガの先生からスカとスティルの概念を聞いていたし、
『ヨーガ・スートラ』も勉強していていました。
でも、ポーズをとっていても、それをばく然としか理解していなかった。
わかんないからポーズをとりながら無理やり快適だ快適だと呪文を唱えて思いこませている感じ。。。
でもある日、
ある日のこと、
自分の中から湧きあがってくるような自然な振る舞いでヨガのポーズがとれたとき、
理解し始めたのです、
アーサナとは、堂々と、落ち着いて、静寂で、くつろいで、
そしてすべてを見渡している、わかっている、気づいているということを。
アーサナとはごく自然であるということを。
もっとも自分がくつろいで裸んぼでいるということを。
ああこれが自分の源泉の姿なんだということを。
これがあるがまんまだということを。
そしてあとになって考えてみて、ああこれが本質を理解するっていうことなんだなって思いました。
私はあのときアーサナの本質を理解し始めたんだと思う。



からだを動かすヨガを続けていくと、神経や感覚が整い、
いつもの日常生活で感じる以上の、もっと広い世界まで感じられる素地が整います。
心と身体と感覚がよりさまざまなものに反応できる力、キャッチするセンサーが培われます。
そうしてヨガを続けていく過程でごく自然に、
本や他人や社会から教えられた知識を、
身体が、五感が、開いた心が「体験してゆく」、ということが起こるのです。
ハタヨガによってセンサーが進化した身体・五感・心が、
ある日自然に体験していくという感じです。
いや、起こったことを見ていたら体験していた、という感じです。
これが知識が体験となる瞬間、
本当の知識となる瞬間、
本当の知識と出会う瞬間、
真実の知識をいま体験している、という瞬間なのです。



冒頭の、
「身体を使うハタ・ヨーガは、「観察する」「注意深く生きる」練習のためのたいへん有効なツールです」
という本題に戻ります。



私がヨガをする上で長く迷い道にいたのは、
今まで生きてきた人生の体験の中に「スカ」と「スティラ」が無かったか、
その体験を忘れちゃったためだと思われます。

せっかく、
パタンジャリのようなヨガの偉大な先達が声をそろえて言うのです、
ヨガのアーサナとは、くつろいでリラックスして気持ちよくって、
そして堂々としたゆるがないようなバランスがとれていて、
あなたはそれらすべてをとても冴えたまなざしで見渡しているよって。
ヨガアーサナの本質は「スカ」と「スティラ」だよって。

さあ、その道しるべを使いましょう、
「スカ」と「スティラ」というその基準を使いましょう。

私はいくら、観察して、観察してって言われても、その方法がわからなかった。
ただ観察してと言われても、ボワンとしてあいまいだったのだ。
つまりそれは観察の着眼点がわからなかったからだ。
私は、観察の焦点があいまいだったのだ。
だけど、なあんだ、
焦点のピント合わせは既にパタンジャリがやってくれていたじゃあないの!
だから皆さんは私のようにただばく然と観察するのではなく、
パタンジャリのように、
パタンジャリのピントに焦点をあてれば、取りかかりやすく、近道です。
そう、パタンジャリのピントに観察の基準、拠りどころを置いて、
アーサナをしているときも、
呼吸や呼吸法をしているときも、
心や五感を感じているときも、
「スカ」と「スティラ」を基準に。
アーサナをし、呼吸法をし、と同時に、
身体は、呼吸は、心は、「スカ」か?「スティラ」か?と観察するのです。
そのようにして観察していると、
ほんとうだ、アーサナの本質は「スカ」と「スティラ」そのものだ、
と体験する時がやって来ます。
知識を体験する時が。

(次回は、「スカ」と「スティラ」をもう少し具体的に見ていきたいと思います)
[PR]

by yogabeaware | 2011-05-16 09:03 | ヨガクラスの内容