それらを一人の人間のためにしていると思う必要はない
(「ラーマクリシュナの生涯」 (上) 421 P)
ある日、彼女は師・ラーマクリシュナのもとに来て、非常にへりくだって訴えた。
神を瞑想しようとして座ると、
世俗の思い、あの人の言葉、この人の顔等々が心に浮かんで落ちつくことができません、と。
師はただちにそのムードを理解なさり、彼女は誰か愛しており、その人の言葉や顔が心に浮かぶのだ
とお知りになった。
そして愛情深くおたずねになった。
「さて、心に浮かぶのは誰の顔かね。お前は誰を愛しているのだい?」
彼女は、自分が今育てている甥の一人を深く愛していると答えた。
師はおっしゃった、
「けっこうだ。食べさせるとか、着させるとか、その子のために何をしてやるにせよ、
この子はゴーパーラであると思ってそれをしなさい。
神がゴーパーラの姿を取ってこの子のうちに宿っておいでになる、
自分が食べさせたり着せたり、お世話をしているのは
<彼>である、と思うのだ。
それらを一人の人間のためにしていると思う必要はないのだよ。
お前のムードの通りの結果が得られるはずだ」と。
ゴーパーラ Gopala (牛を護る者の意): クリシュナの幼児、牧童時代の名
写真は日本ヴェーダンタ協会でのシュリー・ラーマクリシュナ・デーヴァ聖誕祭(3月20日)の祭壇とプージャー
by yogabeaware | 2011-03-23 09:14 | ラーマクリシュナ