ヨーガ・ニドラー ヨーガの眠りについて

思いこみと
頑固と
妄想

これらは成長の障害だ

思いこみと
頑固と
妄想

沈黙はこれらを破壊する
             

文明化社会の大人として、わたしたちは知性を最も優れた規範としてあがめるが、
一方、「知性の源泉」を無視しています。
わたしたちは子供の時からそのように訓練されてきたので責められるめきではないが、
霊性の生活において探求者は、信仰・愛・帰依の崇高な感情を通じて知性を超越していかなければなりません。
霊的体験は知性を超えているため、霊性の生活で進歩するためには探求者は、
すべてを忘れねばならず、論理や理性の行動基準に従うべきではありません。
そういう理由で、しばしば探求者は子供のように無邪気であれと告げれらます。
なぜなら子供は知性の論理的主張には拘束されないからです。(スワミ・サッティヤーサンガナンダ)


知性をまとった
思いこみと
頑固と
妄想

これが厄介なんじゃないかな



ところで。。。
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ヨーガ・ニドラー(ヨーガの眠り)と呼ばれるユニークな瞑想法があります。
仰向けで、横になりながら実践するのですが、
肉体・呼吸・心を観察しそれらを目撃しつづける意識を通じて、
常識でがんじがらめになった知性や緊張を解放し超越する。。
そして最終的に自己の深いくつろぎ・本当のリラグゼーションにみちびいてゆきます。。

スワミ・サッティヤーナンダ・ジは「ヨーガ・ニドラーの序」の中でこのように語っています。

もし私が、「これが正しくあれが悪い」と言うとすれば、
あなたは私に同意するかもしれませんが、
それは知的な同意です。
あなたは同意したにも関わらず、日々の生活でそれを実行できないかもしれません。
さて、その障害とは何でしょうか?

このように理想を実践することがとても困難であるということには、何か理由がなければなりません。
人生の理想のすべては聖典の中にだけあるべきではありません。
私たちは自らの理想と共に、「生き」なければなりません。
ヨーガ・ニドラーは、私たちの考えや行動のすべての責務を負う、
内側のサイキック・心霊的な人格と接触させます。
ヨーガ・ニドラーの助けにより、私たちは自分の信じるそれらの理想を「生き」られる、
行動開始できるのです。


例を挙げると、かつて私はプロの泥棒で数百の犯罪を犯した男に会いました。
長い時間彼と語り合い、最終的に盗みを行うことは悪いことだと彼に確信させました。
彼は自分が罪人であるという感情にまで達し、私は彼を転向させた、きせきを行ったと思いました。
しかし、5年後に彼の村に戻ると彼がなお同じ仕事(泥棒)をしていることを発見しました。

なぜでしょう?
なぜなら、私が転向させたのは彼の知性で、彼の内なる自己ではなかったからです。
そのあと、私はその村に6カ月滞在し、学校で子供たちや教師たちにヨーガ・ニドラーを教えました。
その泥棒もまたそれの授業に参加し、短い期間の後、彼はその職業から離れました。


知的な確信は人間生活の一側面です。
私たちはみな、善や悪について知的に確信していますが、
と同時に、私たちが理解を必要とする全てに対し、感情的に受容的でなければなりません。
このことは、受容を妨害するものが消え、
心が静穏でひとつのなめらかな流れになったときのみ可能です。

そのときなら、心に印象付けられたものが何であれ、それは誤りを正し、運命となり、指導します。

もしあなたが、悪い習慣を持つ人を知っているならば、ヨーガ・ニドラーの実践で彼を指導しなさい。
彼が完全にリラックスするまで待ちなさい。
それからいくつかのポジティブ・肯定的な指示を与えなさい。
この受容性の頂点の時間に、彼は、あなたの言葉に聞き入ることでしょう。
無分別で落ち着かない心は従順にはなれませんが、ヨーガ・ニドラーの心は完全に従順なのです。

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by yogabeaware | 2011-03-01 10:48 | スワミ・サッティヤーナンダ