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近況。

私はヨガに出会ってまだ5年くらいですが、それでもヨガを通じてたくさんのひとと交流しました。

その中で、ヨガや霊性の表面的な部分で漂っている人が、(自分を含めて)大勢いると観察してきました。

また、その漂流から脱け出したいけど、方法を見つけられない人も・・・。

だからマハーラージ(*日本ヴェーダーンタ協会長のこと)が言うように、実践的なガイドがとても重要だし、また、一度聞いてピンと来ないひとたちを愛情を持ってフォローすることもとても大切だと感じはじめています。

先日のリトリート合宿でのマハーラージの講話では、真理に関してのことは3つの検査方法があるというお話が印象に残りました。

①聖典といわれているものにあたる。聖者の経験にあたる。②論理的であるかよく検証する。③自分の経験

この 三つが合致して初めて、例えば神さまがいるかいないか、などの証明になる、ということです。



私自身は、神さまなんか信ぜず、常識に沿った自分の理想像を1 00%演じていたところから始まって、

今は自分の体験こそが自分の信仰、自分への信仰、ほんとうの自立、ほんとうの宗教、そしてそれは神さまへの気づきの芽であった!という経験をしてきました。

以前は自分を信用していなかったのですね、自分のことなのに人任せにしてた、自分の体験を重んじていなかった、自分を大切にしていなかった、真剣に生きていなかったのだと思います。

自分の中に自分が居なかったから、何をどう選択したらいいのかがわからない。
いつも不安で心配でした。



もうそんなの、つくづく嫌になりました^^!

自分の存在すべてを使って、感じ、体験することが、とっても重要な気づきの一歩なのですよね。

それが自分の土台、なのですよね。

もちろん、3つのバランスがとれてこその土台(=智慧)、ですが・・・



今回逗子の協会(*日本ヴェーダーンタ協会のこと)に足を踏み入れた途端、愛の波動のようなものにグッと胸をつ かまれたようでした。

瞑想室で、愛のシャワーが降っている!と感じたことはありますが、玄関先で、というのは初めてでした。

波動が拡大しているのか、私が感じやすくなったのか・・・?!



先の講話で仏教がすたれてきた理由というくだりのとき、「お寺は美術館ではない。瞑想や祈りを、僧がしないとお寺の雰囲気が出ない」というお話がありました。

その通りなのですね。

逗子でマハラージと共に生活をしていると、祈りの深さや普遍的な愛情深さを目の当たりにします。

それはこの世で「愛」と言われているものとはあまりにも違うものなのです。

そしてそれがこの包み込むような癒しの波動をつくるのだと実感しました。

自分も1ミリでも近づきたいと 思いました。



リトリートから一緒に帰って来たとき、マハーラージは私に「普遍的に生きること」とつぶやきました。

近況。_e0200565_2110898.jpg

お供え。庭のトマトにつゆ草の花飾り。

# by yogabeaware | 2012-08-11 21:42 | 日々。。